No. 1271

神と歩めば結果は吉に
全てがつながって今の私が

(長崎偉光会館FN/20代女性) 

親元を離れ、看護師となって8年。上司にも恵まれ、やりがいを持って働いてきました。ところが、コロナ禍の影響で仕事は多忙を極め、生活がどんどん不規則に。行動制限で大好きな家族や友人とは会えず、孤独感に襲われるようになりました。夜も眠れなくなり、人と会うことが苦痛で、家から出られません。うつ病でした。そんな私に両親は、「家に帰ろう」と温かく声を掛け続け、地元に連れて帰ってくれました。 

心の苦しさが吹き飛んで 

それでも、「何で生きているんだろう」という思いだけが巡る日々。そんなある日の朝、窓の外からドン!という音と、うめき声が聞こえてきました。思わずはだしのまま飛び出すと、屋根の修理をしていた父が、脚立から転落していたのです。ふさぎ込んでいた気持ちは一気に吹き飛んで、すぐに救急車の手配や、家族への連絡に動きました。無我夢中でした。 

幸い父は軽傷でした。たまたま庭にあった発泡スチロールの箱が、クッション代わりになったのです。少し前、「片付けよう」と話していた物でした。もしそれがなかったら…。そして、転落直後は意識がもうろうとしていた父の発見が遅れていたら…。あの日、母は仕事で昼まで戻らず、家にいたのは私だけでした。奇跡が積み重なって、守られた父の命。「神様って本当にいるんだ。信者で良かった」と、心から思いました。 

重なった「偶然」「たまたま」 

この時、父を助けられたことで、止まっていた私の心は再び動き始めました。少しずつ元気を取り戻し、薬も不要となって、今は地元の学童保育で働いています。事故からしばらくたったある日、たまたま訪れたカフェで、偶然持っていた趣味のカメラをきっかけに、学童の経営者の方に声を掛けていただいたのです。「偶然」と「たまたま」が重なった不思議。まるで、神が導いてくださったようでした。 

学童では、元気に動き回る子供たちから目が離せません。「命を預かっている」という緊張感の中で、時には、小さな擦り傷の手当てや、体調を崩した子供の付き添い、その状況を親御さんに伝えることも。新しいことを学びながら、これまでの経験を生かし、お役に立てていることがうれしいです。神が教えてくださる「奉仕の心」を大切に、できることを精いっぱいしていきたいと思います。 

これからも神と共に 

あの事故の後、両親は「帰ってきてくれてありがとう。あなたがいてくれたから、今の私たちがいるんだよ」と言ってくれました。私も胸がいっぱいになりながら、「こっちこそ、つらい時に支えてくれたから」と返しました。神と歩めば、全ての出来事が吉となって、どんな経験も人として成長する機会になるのだと思います。これからの人生も、神に心を預けて、日々歩んでいきます。