結婚当初から、夫は面白くも何ともない人。話し掛けても、答えは「ああ」「うん」「おお」で終わり。私が目を合わせようとすると、夫はそらす…、まるであっち向いてホイです。誕生日もバレンタインも、私がプレゼントするばかりで、夫からは何もなし。「この人に心はあるの?」。離婚も考えたけれど、そうしなかったのは、どこかで「妻としての仕合せを味わいたい」と願っていたのだと思います。
数カ月前に受けた教務相談で、「毎日、ご主人を褒めましょう」と提案された時は、困り果てました。全く思い当たらない…。しかし、「今の生き方が、生まれくる次の人生にも影響する」と神の教えで知り、恥ずかしながら、夫のためというより、自分のために頑張らないと…と思ったのです。
夫に心がなかった“わけ”
「夫を褒められる私になりたい」と祈願して3日目、職場で同僚が「たばこがやめられない」と言っているのを聞いて、はたと気付きました。夫もたばこが大好きな人。でも、私が「煙が嫌いだから、やめて」と伝えた翌日から、スパッと禁煙してくれたのです。
あれから26年もたった今も、1本も吸わない夫は、すごく男らしくて、愛のある人! 早速、「1日で禁煙して、それを今でも続けてて、カッコイイよね」と伝えました。そうしたら、夫は私の顔を見てニコーッ。夫に心がないのではなく、私が、夫の心を引き出せていなかったのです。
その日を皮切りに、次々思い出しました。私がけがをしそうになった時、体を張って助けてくれた。だまされて借金してしまった時、叱らず、黙って許してくれた。「烏骨鶏の卵を食べたい」と言ったら、鶏小屋を作り、20年近く飼育して、私たちに食べさせてくれている。寡黙だけれど、いいところがたくさん。「私は仕合せもんだ」。心底から感謝が湧き上がってきました。
ちょっとした変化の連続
これまでも、私なりに神の教えを実践していました。役に立てばいいんだと掃除を頑張ってみたり…。でも、「やらないと夫に指摘されるから、仕方なく」。そんな気持ちが根底にあった私こそ、“夫を思う心”がなかったのです。
レンジでチンが多かった夕食も、出来たてのホカホカを食べてもらいたい。そんなふうに心が変わってきました。そして今、あっち向いてホイだった夫が、別人のように私の目を見て、しかも話し掛けてくれるのです! 「家の近くに住んでる人がさ…」などと、ささいなことも、何でも話して聞かせてくれます。私の頼み事は後回しだったのに、パッと手を止め、サッと取り掛かってくれたときは、優先順位が上がった!と、うれしくなりました。
いつ別れよう…と、そればかり思っていた私たちが続いている。つなぎ留めてくれたのは、神の教えです。これから先も、もっと楽しい人生が待っているような、そんなうれしい予感がしています。
「教え」を心(人生)の支えに生きる努力をする
自然と心(気持ち)は安定し 物 事の見方が変わる
物 事は 存在ではなく 心に映る感情が乗って見えるもの(現実)
相手 状況を変えるのではなく 自分の心を変えることが必要
「教え」に生きるほど 「心」は変わり 生活環境が好転する
「教え」を心(人生)の支えに生きる
努力をする
自然と心(気持ち)は安定し
物 事の見方が変わる
物 事は 存在ではなく
心に映る感情が乗って
見えるもの(現実)
相手 状況を変えるのではなく
自分の心を変えることが必要
「教え」に生きるほど
「心」は変わり
生活環境が好転する
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』128ページ