No. 1376

直面した能登半島地震
「心」守られ大難が小難に

(石川津幡偉光会館HT/60代女性)

令和6年1月1日。能登半島地震が発生した時、私と夫は石川津幡偉光会館への新年参拝から、穏やかな気持ちで帰宅中でした。

タッチの差でたどり着いた自宅

地震発生の少し前、例年のように立ち寄った商業施設。普段なら1時間ほど滞在するのに、なぜか早く帰りたくなって、30分ほどで再び帰路に。給油を済ませ、日本海に面した、のと里山海道を走行中、1回目の地震が起きたのです。「いつもの地震かな?」と思った直後、大きな揺れが。とてつもない恐怖に襲われて、神に「助けて!」と叫んでいました。

周囲を走っていた車が、ハザードランプをつけて次々に停車。車内には、緊急地震速報で、「大津波、逃げて!」と呼び掛け続ける声が響いています。恐怖でした。そのような中、我が家で待つ義母を案じながら、懸命に車を走らせました。この先の道は陥没しているかもしれない。橋が折れているかもしれない…。神に必死に救いを求めながら、無事にインターに到着。「全線が通行止めになった」と聞いたのは、それから間もなくのことです。

全てに込み上げる深い感謝

ようやくたどり着いた七尾市の自宅は、ブロック塀が倒れ、外壁も剝がれ、中は足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃ。でも、御神体は不思議と倒れておらず、義母も無事でした。年末に足を痛めて、ベッドから動かずにいてくれたのが幸いしたのです。もし、動けていたら…と思うと、ゾッとしました。

それから1カ月ほどは、片付けたキッチンに簡易ベッドを置いて、みんなで眠りました。断水も続いていたものの、自宅で過ごせることに感謝。毎日「キャンプ気分」で過ごせる心のゆとり。どれほど心をお守りいただいたか知れません。開かない戸、閉まらない戸、たくさんの亀裂…。その一つ一つを丁寧に補修する夫の姿にも感動。とにかく全てに感謝が込み上げてくるのです。

神の「分魂」を預かれる安心感

地震発生から数日後、新年の御神体を持って、偉光会館から職員が駆け付けてくれました。我が家の一室を使い、被災した信者仲間の、御神体のお預かりと返納がかなったのです。皆さん口々に、「御神体のおかげで、神を身近に感じられる」「どれほど神に心を救われたか。祈願は宝」と言われていました。思えば、私も、地震発生後は眠れなかったのに、御神体をお祭りしてからは、心がほっと守られて不思議とぐっすり。神のお力そのものの、「ご分魂」をお預かりできるありがたさを痛感しています。

教主正使者供丸光先生が、「能登半島地震に当たって」として、神から賜ってくださった神示とそのご解析(※)からも、生きる力を頂きました。仲間の中には、自宅が全壊、半壊した方もいるものの、「先を案じても仕方がないから」と、前向きです。ある方は、避難先に電気も水道もなく、川で洗濯をしているそうです。それでも、「『昔はみんな、こんな感じだったのか~』と楽しんでいます」と連絡を下さいました。その豊かな感じ方に、「『心』が守られている」と、胸がいっぱいになりました。

手を取り合って前進を

1月29日、私は偉光会館で、希望の光勉強会に出席することができました。その時の神示の一節が、忘れられません。
「教え」に「真理」を読み取り
      「人生」の支えにする
           意識を強く持つ
 自然と 心の迷いは治まり
   無我の境(きょう)になってゆく

そのとおりだと、深く心に染み渡りました。あの日からきょうまでを振り返っても、「心の動き」の全てが、神の手の中で守られて、大難を小難にしていただいていると思うのです。

多くの信者仲間から頂く、「心」の支援も、大きな支えとなっています。感謝してもしきれません。今、ここから、一歩ずつ前に進めるように。家族と仲間と手を取り合って歩んでいきます。

 

「令和6年能登半島地震に当たって」の神示
教主正使者供丸光先生によるご解析は、信者専用コーナー「菜の花ひろば」でご覧いただけます。