No. 1310

神が願われるとおりに
進んだ「歩みの庭」の整備

真実の光(みち)会館隣地にある「歩みの庭」。足を踏み入れると、かつて直使供丸姫先生が執務をされていた「神公舎」に、自然と心が引き寄せられていく、不思議な芝生の庭園です。日頃、教会施設の建設や、維持・管理に当たっている私は、この整備にも携わらせていただきました。「庭」が完成し、一般に開放できたのは「聖日記念祭」を迎える前日、11月14日。今思えば、資材を搬入するタイミングも、石段の設置も、樹木の植え付けも、一つ一つの工程が神のお導きの中でした。

一段一段に心を込めて 

9月初旬、用地のお清め後に、全国の職人の方々と張った芝。それが根付き始めるのを待って、石段を設ける作業が始まりました。

なだらかな斜面のある土地に合わせ、おおよその設計図はできています。しかし、石を置く際の微妙な角度や、平面部分の取り方など、現場での細かな調整で、「歩きやすさ」が格段に変わります。作業の間中、「信者さんが安心して歩ける石段を」と、祈願が欠かせませんでした。時に、「この場所は石を入れ替えよう」「あの位置に大きい石を置けば、歩く人が擦れ違える」などと考え直すことも。そうして一段一段を、作業に当たる全員が「ここだ!」と思った所に設置していったのです。

いよいよ完成が見えた時、みんなで驚き、感動しました。途中、石の不足が懸念されたものの、一つの欠けも余りもなく、用意した数ぴったりで石段が出来上がったからです。ただ石の数に合わせてバランスよく並べても、こううまくはいかなかったはず。人々の仕合せを願う神の御心に重なって臨めば、必ず全ての帳尻が合う…。神の手の中でさせていただいた作業だったと、痛感しました。

 

ぬくもりのある杉のベンチ 

その後、「歩みの庭」にベンチが設置されました。このベンチ、実はもともと杉の一枚板でできた座卓だった物です。“杉”と聞けば思い起こされるのは秋田杉…。供丸姫先生が「『風雪に耐え抜く秋田杉であれ』と、神は私に言われました」と語られた木です。そうした供丸姫先生の思いを感じると、簡単に処分などできず、「いつか必ず使うはず」と、長い間大切に保管してきました。それが、「こたびの動き 機が熟し 『希望の光(みち)』が通る環境が 世(社会)に開かれてゆく」と神が表されたこの時に、神公舎を望むこの場所で使わせていただけるとは…。全てを見通す神のお計らいの深さ。その一端に触れた思いでした。

 

全てが神の手の中と 

朝、真心で張られた芝が露に輝く様子を見ると、何とも神秘的な気持ちになります。芝張り後も、樹木を植えた後にも、これ以上ないほどのタイミングで優しい小雨が降りました。植物の根付きに必要な、まさに恵みの雨でした。天候までも大きくお守りいただき、一気に環境が整った「歩みの庭」。

真実の光会館に向かう際、喜びにあふれるときも、悲しみを抱えるときもあるでしょう。どんなときも、「歩みの庭」で足を止め、自らの「心の歩み」を振り返れば、神への感謝が自然と湧いて、気持ちがすっと落ち着くはずです。神前に向かう心を整える外参道。その環境を、これからも大切につくってまいります。