(北海道札幌偉光会館YM/70代女性)
「教会のカレンダー『しあわせ月ごよみ』に載せる神示の書写を」と、お話を頂いた時は、そのような大役を…と不安しかありませんでした。何と言っても「神示」です。普通の書道ではありません。書風は? 書体は? 考えれば考えるほど、手が動かなくなってしまいました。
日常に神示を落とし込むと
そこでいったん筆を置き、神示を読み込むことから始めたのです。何度も繰り返し読むうちに、次第に、日常の何げない場面で、ふっと心に浮かぶようになってきました。
家族ともめそうなときは、「仕合せの基 和の心にあり。兄弟 親子 友人 知人 親戚 身内 仲良く暮らせよ」(『真実の光・神示 昭和63年版』132ページ)。これから人に会うというときは、「人間は 一人では生きられない。出会いを生かす『努力』が 『人生』を高める」(『真実の光・神示 令和4年版』9ページ)。神示がよぎるだけで、揺れる気持ちが穏やかになったり、人と縁を深めたいと意欲が込み上げてきたり…。たくさんの「心が変わる」不思議を味わいました。
実在する神が、私たちの仕合せを願い、使者を通して世に表された神示。その神示が心にある日々は、まるで「日常」というパズルに、欠けていた「真理」というピースをはめていくよう。喜びと感動にあふれていて、神示に触れられるありがたさが込み上げました。同時に、迷いや不安はきれいに吹き飛んでいったのです。
神示に触れて生まれた感動や喜びを、そのまま筆に託して紙に移す。これは「作品」ではなく、「伝える書」なのだとも分かりました。すると、うそのように手が動きます。全てが、神の手の中の出来事でした。そうして、無事に書き終えることができたのです。
温かな思いを届けられる文字を
思えば私は、これまでたくさんの「心に残る文字」と出会ってきました。幼い我が子が、回らない口で「これね、『おかあさん』」と言いながら見せてくれた、丸まった文字。専門学校で講師をしていた時、書くことが苦手だった生徒が、「やっと思うように書けた」と見せてくれた、伸びやかな文字。そのどれもが、純粋な思いで書かれたものだからこそ、形としては拙くとも、深い感動を覚えました。あらためて、神が教えてくださる精神世界の力の大きさを感じます。これからも心が穏やかに、温かく、元気になれるような字を書いていきたいです。