No. 1277

義父の人生が示し続けた
確かな「神」のご存在

(神総本部MO/50代女性) 

「神の実在」という言葉を聞くと、義父を思い出します。 

教えを支えに乗り越えた病

義父は、純粋で、情に厚く、社交的な人でした。しかし過去には、事業に失敗し、家族で住み慣れた土地を離れるなど、苦労も多かったと聞きます。いつしか、学びからは遠のいてしまっていました。そんな義父に病が見つかったのです。末期の大腸がんでした。 

手術の後、医師からは「がんが取り切れず、余命3カ月ほど…」と宣告が。しかし、それを聞いた義父は、落ち込むどころか、再び熱心に教えを学ぶようになりました。家族と明るく過ごし、退院後は少しずつ仕事にも復帰。そして術後の検査では、「残ったがんがない。数値も全て正常値」と、医師も驚く結果が待っていたのです。それから4年。義父は亡くなる直前まで生き生きと働き、私にも神の話をたくさんしてくれました。 

葬儀場で「奇跡」の再会が

義父が心の世界に旅立ったのは、清明会館の開館を数カ月後に控えた時期でした。「あと少し頑張れたら…」という気持ちを抱えながら玉納奉寿(葬儀)を申し込み、その報告に霊安室を訪れて驚きました。義父の表情が前日までとは全く違い、笑顔を浮かべているのです! 「安心してくれた…」と、込み上げる思いがありました。 

そして、玉納奉寿の当日。開式までまだ随分ある時間に、1人の男性が入ってきました。夫と義母を見て、「まさかと思ったけど…」と言葉を詰まらせています。義父が会社を畳むまで、家族ぐるみで親しくしていた方でした。男性は運転中、たまたま義父の名が入った葬儀の看板を見つけ、車を止めて来てくれたと言います。「みんなに連絡するから! 遅れるかもしれないけれど、必ず来るよ!」という言葉のとおり、本当に数人の仲間と喪服で戻ってきてくれたのです。出棺の際は共に運んでくださり、その姿に、私たちも胸がいっぱいになりました。 

きっと義父は、この方々とのことが心残りだったのだと思います。ご縁がもう一度つながったのは、大きな道路に面した「この」葬儀場だったから。この道路に、この看板が出ていなかったら、かなうことはなかったでしょう。義父は神に導かれて、本当に悔いなく心の世界に旅立ったのだと、私は確信しました。 

今だから分かる思い 

振り返ると、義父は結婚の報告に行った私たちに、「人の手本になる夫婦を目指してください」と、温かく声を掛けてくれました。当時は分からなかった、「手本」という言葉に込められた義父の思い。きっと、「本物の信者になって、人として正しい生き方を…。そして、周りに良い影響を与えられる存在に」と願ってくれていたのだと思います。義父の言葉を胸に、私自身も夫と共に、誰かに神の実在を示せる人生を全うしたい。その思いを強くしています。