No. 1264

きれいに拭われた喪失感
明生の儀で「魂の救い」が

(神総本部IF/80代女性) 

信者となって50年近く。この間、私と夫は、幾度となく二人で神の館に足を運んできました。時に波瀾(はらん)万丈だった人生も、ご守護の中で全てが丸く収まって、仕合せに過ごす毎日。特に夫は、「今が最高!!」と、口癖のように言っていました。 

深く大きな悲しみを抱えて 

その夫が3年前、心の世界に旅立ちました。医師に「万に一人」と言われたほど、苦しむことなく最期を迎えた夫。病院の方々は泣いて別れを惜しんでくださり、玉納奉寿(葬儀)には、親族をはじめ、多くの仲間が参列してくれました。これ以上はないと思うほど、素晴らしい終日。でも、夫と60年も一緒だった私の喪失感は、深く、大きなものでした。 

教会に行っても思い出ばかりがよみがえり、寂しさで、食欲もなくなっていったのです。案じた長男夫婦が、しばらく家に泊まってくれました。家族の支えの大きかったこと…。あらためて学んだ神の教えが心に深く染み入って、多くの気付きを得ることができました。 

目の前が開けるような変化が 

そして、今年の6月。家族で夫の明生の儀(法要)を受けました。すると、私の心に大きな変化が。あれほど強かった喪失感が消え、心の芯から明るさを取り戻していったのです。まるで重く、固い殻がむけたような、あえて言葉にするなら、「魂の救い」としか言えない感覚を味わいました。心がすっかり軽くなり、目の前が開けたようでした。食欲も戻り、近所の方に「元気になりましたね!」と声を掛けていただくほど、充実した日々を過ごしています。 

魂まで救われるような、神と歩むからこそ得られるこの喜びを、皆さんにも味わっていただきたい。そんな思いが後から後から込み上げて、周りの方々に自分の体験を語らずにはいられません。幾つになっても、人を思う心は枯れないのだと実感し、こんなにも生き生きとした気持ちで暮らせることが、本当にありがたいです。 

幾つもの忘れられない思い出 

今でも決して忘れない、夫の棺(ひつぎ)が病院から神総本部に向かったあの日。晴天にきれいな虹が出ているのを、3歳のひ孫が見つけてくれました。「神が夫の人生を愛(め)でてくださった」と、家族みんなで見上げた、私の大切な思い出です。そして、ほんの数日前のこと。また「虹が出ている」と、今度は孫が教えてくれました。心明るく元気に過ごす私を神が喜ばれているようで、自然と涙があふれてきました。 

実在の神が、人類を救うためにつくられた真実の教会。その教会の信者となり、人として本物の仕合せを味わわせていただける幸運に、感謝しかありません。