No. 1244

神の手の中のタイミング
父の姿を「お手本」に

(鹿児島偉光会館AT/50代女性) 

買い物から帰宅すると、父がトイレの前で立ち尽くしています。驚いて「どうしたの?」と尋ねると、「右足が思うように動かないんだ。椅子を持ってきて」と言うのです。やっと立っているようで、「これはおかしい」と、すぐに救急車を呼びました。 

「その日」だからできたこと

病院では、家族みんなで祈願しながら待合室に。医師の診断は「左塞栓性脳梗塞」でした。心臓に病がある父は、もともと血栓が飛びやすく、そのための薬も飲んでいます。「詰まったのは小さい血管ですが、念のため短期間入院し、様子を見ましょう」との説明に、安堵(あんど)するとともに大きなご守護を感じました。 

というのも、その前日は、私が体調を崩して寝込んでいて、父が救急搬送された日は、大事を取って仕事を休んでいたからです。私の体調が悪いときでも、仕事で不在のときでもない、まるで待っていたかのようなタイミング。きょうなら、大切な父の入院を、手厚く支えてあげられます。「神の手の中」という確信とともに、心の底から感謝が込み上げました。 

その後、少しだけ面会できた際、父は「入院ね。そうか、じゃあ教会図書とパソコンを持ってきて。眼鏡もね」。え? この状況で学ぶ? すぐにそう考えるお父さんってすごい! 足が思うように動かなくても、父の「心」は元気で健康そのもの。普段と何一つ変わらず、真っすぐに神を見詰めています。「だからご守護も大きいんだ。お手本だな」と思ったのです。 

深まった「神と生きる」思い

その数日後、看護師さんから「車椅子ですが、自分でトイレに行かれていますよ」と教えていただきました。父本人からも電話があり、「『生命の歩み』も持ってきて!」と教会図書のおねだりが。入院生活を楽しんでいるかのような、明るい、明るい声です。どんな状況でも、心がぶれない父の姿に、自分も本気でそれを目指したいと思います。神に感謝。そして、父にも感謝。退院後、一緒に偉光会館に行くのが、今から待ち遠しくてたまりません。