(福井偉光会館HT/60代女性)
偉光会館の神門に立て掛けられた、母の玉納奉寿(葬儀)の看板。見上げた瞬間、「こんな尊い場所に掲げていただいて…」と、胸がいっぱいになりました。
最期まで家族で心を重ねて
長く続いた母の在宅介護。覚悟していたつもりでも、いざ“その時”が迫ってくると、あふれる涙が止まりません。それは家族も同じでした。でも…。「お母さんを偉光会館で、玉納奉寿で見送ると決めたんだから!」「神と生きる素晴らしさを、縁のあった方々に知っていただきたい。大切なお母さんを、最期までしっかり支えよう!」そう思うと、崩れそうな心が奮い立ち、涙が止まりました。もう一度家族が声を掛け合い、精いっぱい向き合った、その日の夜。母は、眠るように旅立ったのです。
後から分かった、驚きの事実
葬儀には未在籍の方も多く来られ、「こんなに故人を思うお式は初めて」「葬儀に“良かった”はおかしいけれど、素晴らしかった」などと言っていただきました。中でも、疑心暗鬼だった親戚の「本当に安心した。あなたたちもよくやったね」という言葉がうれしかったです。儀式を通して、みんなの心が一つに重なり、あらためて神の実在を目の当たりにした思いでした。
玉納奉寿で頂いた、母の心の世界の名前である信子(しんし)。そこには「喜」という一字が入っていて、私たちは「お母さんは家族の関わりに満足し、喜んでくれている」と、安心していました。ところが、母の戸籍を取った際、驚きの事実が分かりました。母自身は違いましたが、母方の先祖の名前には、代々必ず「喜」の一文字が入っていたのです。「本当に神様はすごい!」「お母さんは、心の道をしっかりつなげてくれたんだ」全身に震えが走りました。
心に染みる母の愛
玉納奉寿の後から今日まで、私たち家族は毎日のように、神を語る機会に恵まれていて、母の喜ぶ顔が見えるようです。きっと母は、残された私たちが、神と心を重ね、ますます仕合せな人生を歩めるように…、そしてその輪が広がっていくようにと願ってくれていたはずです。「幾つになっても、お母さんは、お母さんやなぁ」あらためて感謝が込み上げます。
玉納奉寿を終えてから続く心の穏やかさに、全てが神の手の中…と感じる毎日です。この実感を、多くの方々に味わっていただきたいです。