(山形偉光会館MI/70代女性)
夫を見送った後、次男と2人で実家のある山形に戻ったのは、1年ほど前のことです。転居前は係をしていた私。新しい地域での出会いはうれしく、次男にも「係さんがすてきな人で」「こういう心遣いを見習いたい」などとよく話していました。
しかし、その次男は、長年教会に出入りがありません。私を偉光会館へ連れていってくれるのに、中には入らず「俺はいいよ」と言うのです。送ってくれるのはうれしいけれど、一緒にすがれなくて悲しい。その思いを、神に訴える日々でした。
驚くほどの流れを感じて
いつものように、次男の運転で偉光会館に向かっていた、ある日のことです。「きょうは1時間後に迎えに来てね」と伝えると、何だか様子が違います。「1時間で終わるの?」「終わるよ」「じゃあ、俺も入っていいかな」。え? 突然の展開に驚きながらも、「もちろん! いいわよ!」。そして、一緒に神殿へ向かいました。隣に次男がいるなんて…。うれしくて、うれしくて、込み上げる涙をそっと拭いました。
それが、不思議な一日の始まりでした。勉強会後は、係さんと地域窓口さんにバッタリ。2人とも次男に気が付くと、「よく来ましたね!」と、明るく優しく、心を包むように迎えてくれました。まるで家族のような温かさで、次男の心がほぐれていくのが分かります。これは、後から本人に聞いた話ですが、息子自身も私がよく話題にする人たちに会えて、うれしかったそうです。
その後、次男は教務相談を受け、タイミングを逃していた儀式の申し込みも。帰宅後は、配信されている動画も全て見ていました。やがて、深く納得したのでしょう。後日、私の部屋にある御神体を見て、「ちゃんとお祭りしよう」と言ってくれ、御神居を求め、2人で並んでの朝夕の祈願が始まりました。私が畑作業に夢中になっていると、「5分前だよ」と教えてくれるほどです。もちろん、勉強会も一緒に。でも、何よりうれしかったのは、表情がぐっと明るくなって、生き生きと過ごしている姿でした。
心の動きを見通す神のお計らい
あれから半年ほどたち、これが私の日常となっています。でも、あの日の流れは、今、振り返っても不思議に思えてなりません。特に、教会祝日の大勢の人の中で、係さん、地域窓口さんにそろって会えたこと。まるで2人は、神に代わって迎えてくれたようでした。次男は今も2人のことが大好きで、会えないと「きょうはいなかったね」などと話すのです。
長年願ってきた「家族ですがる」。そのために、まずは自分が教えに生きる。私自身も、そう思って頑張ってきました。その心を、神はずっと見て、応援してくださっていたのでしょう。だから、「ここぞ」というタイミングで、すてきな出会いを重ねてくださったのだと思います。そうして過ごせる今は、飛び上がるほど仕合せで、感謝の気持ちでいっぱいです。