第10回 「自然」を畏敬する意識を持つ

人は「自然」によってつくられる

私たち人間は、日常、意識することはなくても、実は、誰もが「自然」から強い影響を受け、物質生活から精神の在り方に至るまで、「自然」に学び、教えられている存在です。

ここでいう「自然」とは、日々の気温や晴雨、季節の変化といったものだけでなく、河川・海洋・山岳・平野などの地勢や、資源・災害の有無など、国土が持つあらゆる性質を全て包括するほどの広い内容を含んでいます。あらためて考えると、私たちは、生活様式から価値観に至るまで、自然に大きく影響されています。これほど強い影響力を持っているものは、他に例を見ないでしょう。

オリンピック大会などの全世界的な催しでは、国民や民族の違いを表現する際に、「国民性」「民族の特徴」などの言葉が使われます。気質、体質、思考、習慣等々、それぞれの国や民族の特徴を生み出す素地となっているのが、その国や地域の「自然」です。人が「自然」によってつくられることは、歴史上繰り返され、現在も、その仕組みに変わりはありません。

 

国や社会と「自然」の関係

「自然」が人に対して強い影響力を持つのには、理由があります。それは、「自然」が私たちのつくっている国家の制度や社会のルールの基盤になっているからです。統治機構から産業や文化まで、国家が保有するさまざまな組織は、全て国土の「自然」を基盤として組み立てられています。

例えば、地球温暖化の防止や軽減策について、国際的な協議が重ねられています。これは、「自然」の在り方が、それぞれの国の制度や政策と密接に結び付いており、放置することができない事柄だからです。

また、社会には、法律をはじめ、宗教の戒律や倫理・道徳、慣習やしきたり、伝統など、さまざまなルールが存在していますが、全てが「自然」を基盤として成り立っています。社会生活を営むことは、このルールに沿って生活することであり、常に「自然」との結び付きを持つことになるのです。

このようにして、私たちは、「国家」や社会という日常生活に密接する環境を介して、絶えず「自然」に触れ、その影響を受けています。

 

「自然」への崇敬と信仰

日本は、国土が北東から南西へと長く延びる列島からなり、四季の変化に富み、全体的には温暖です。平野が少なく、面積も広大ではない割に農産物や水産物に恵まれ、経済的に豊かです。景勝地も多く、古くから文学や工芸などの文化を生む母体となってきました。

しかし、豊かで明るい面とは別に、日本の「自然」は、非常に破壊的なことが特徴です。地震の発生、火山の噴火、そして、台風の来襲とそれに伴う風水害です。『日本書紀』などをひもといても、自然災害の記載が多数見つかります。これらは、縄文時代のはるか以前から、限りなく繰り返されてきたであろうと推察されます。

「自然」は、人間が制御できるものでは、全くありません。「豊かさ」がもたらす恩恵と、「災害」が引き起こす人の死や物の破壊。人間は、喜びと悲しみを、交互に受け取るしかないのです。大きな「自然」を前にして、ただ受け身の私たち人間が抱く感慨は、「畏敬の念」と呼ぶ他ないものです。この国土に住み着いた私たちの先祖は、「自然」を崇敬し、そこに信仰が生まれ、後の神道となる基礎が築かれたのです。

 

現代社会と「自然」の位置

時代が下って、科学技術の発達した現代。私たちは、「自然」との密接な関係を意識しないで生活するようになっています。農業の開始によって、食料生産が飛躍的に高まり、いつしか「自然」は、人間に利用される存在になっていきました。「畏敬の念」を持たれて尊重されていた「自然」は、人間に支配されるものになってしまったのです。生物の中で、人間が最上位にあるという、人間中心主義の帰結です。

しかしながら、この考え方は、正しいとは言えないでしょう。古代から現代に至るまで、「自然」は、人間の力で制御できる存在ではありませんでした。それは、現在も変わりません。今日でも、「自然」は、物質面においても、精神面においても、私たち人間の全ての基礎であり続け、他のものをもって代えることは不可能です。

人間は、人間が思うほど強いものでも、完全なものでもありません。「自然」を創られた神から見れば、万能な人などいないはずです。であればこそ、私たちは、神の教えを知り、神が与えてくださった「自然」に「畏敬の念」を持ち、謙虚に歩むべきものと思います。

略歴
東京大学法学部卒業。同大学大学院修了。
平成15年から平成18年まで日本大学法学部法学部長、平成18年から平成19年まで同大学副総長を務める。著書『刑法総論』『刑法各論』ほか。

 

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