Q 不当に解雇されて、裁判を考えている

40代

会社から不当に解雇されてしまいました。抗議すると、会社側が認めてくれる部分もありました。それでも怒りが収まらないので、裁判を考えています。(40代男性) 

感情的な状態で物事を判断すると、人生が枯れる方向へと進みやすいため、それは避けなければなりません。まずは冷静になって、なぜ解雇されたのか、会社側の視点に立って、自分を見詰め直してみることが必要です。 

これまでの会社に対する貢献度、関わり方などは、どうだったでしょうか。それが見えないと、一方的に会社を責め、度を越して道を欠いてしまいかねません。それでは、かえって災難を呼び込むことにもつながります。 

感情的にならず、物事を客観的に見詰め、不当な部分があるなら、その事実だけに絞って権利を主張することです。そこに、双方が受け入れられる解決策が見えてくるでしょう。

命ある今を 社会に奉仕して「生きる」心の姿を 仕事という
 「教え」を学び 心を解放して 「人生」を歩んでゆく
 この思いが身に付くほど
    人間は知識のとらわれから解放されて
      全てのもの(存在)を受け止め 出会いを深めて生きられる
 このとき味わう心が 生きがいである

命ある今を
 社会に奉仕して「生きる」心の姿を
             仕事という
 「教え」を学び 心を解放して
        「人生」を歩んでゆく
 この思いが身に付くほど
  人間は知識のとらわれから
            解放されて
  全てのもの(存在)を受け止め
      出会いを深めて生きられる
 このとき味わう心が 生きがいである

『真実の光・神示 平成28年版』15ページ

現代は、さまざまな知識、情報が飛び交っています。権利を守る手段も、いろいろあるでしょう。しかし、一つの物事にこだわれば、そこで停滞してしまいます。長い人生、何が幸いするか分からないものです。どれほどつらい出来事であっても、それを自身の心の成長の糧と捉えて前進しましょう。一つ一つの事象を謙虚に受け止め、神の教えを生かして乗り越えていくところに、「あれがあったから、こんなに大きな喜びを味わえる」という明るい未来が手にできるのです。知識や情報に惑わされず、自身の改めるべきところは改めて、前を向いて歩んでいきましょう。