No. 1171

命の不思議を見詰め
全てが神の手の中と感じて

偉光会館での一日は、「この方に救われていただきたい」「あの方にも…」そんな出会いの連続です。何げないひと言が教務相談につながったり、たまたま総合受付に立っていたら、心配していた方がひょっこり来られたり。一つ一つの出会いが、全て神の手の中の「必然」。そう感じるのです。 

偶然ではなく「必然」の出会い 

このような出会いがありました。ある時、久しぶりに偉光会館へ来られた女性。両親を相次いで亡くし、その悲しみで神から心を離してしまっていたそうです。そして、初対面の私に「私はあなたを知っています」とぽつり。実は、その方の職場は、玉納奉寿(葬儀)で使わせていただく火葬場。そこで「神示教会」と何度も聞くうちに、「偉光会館に行こう」と心が動いたと言うのです。どの出会いが、どこにどうつながるか…。一人残らずの救いを願われる、確かな神のご存在を、日々感じずにはいられません。 

「感謝」を伝えられる終日に

出会いを大切に、神の教えに生きてきた人は、最期を迎える時も、不思議と孤独ではありません。縁ある方々に、感謝の思いを届ける姿を、これまで何度も耳にしてきました。 

知的障害のあった60代女性のお話です。純粋な心で生き抜いたこの方は、脳梗塞になる数日前、急に長年の恩師に「会いたい」と言われたそうです。ぎゅっと抱き付いて挨拶し、その後、自宅で倒れました。直前までしていた塗り絵には、「ありがとう」のメッセージが。まるで最期が分かっていたかのように、大切な家族に感謝の思いを残されていったのです。 

また、多くの人に慕われた元地域窓口の方。養女だったこの方は、きょうだいがいるのに顔も知らないことを、長年寂しく思っていたそうです。ところが亡くなる1カ月ほど前のこと、その方々が自宅を訪ねてきてくれました。亡き父に聞いた話を思い出し、探してくれたというのです。もちろんこの方が、病気で自宅療養中などとは全く知らず…。最後の力を振り絞り、きょうだいと笑顔で抱き合ったこの方は、家族にみとられて旅立ちました。

身をもって感じた神のご守護

私自身にもそのような体験が。施設に入所し、コロナ禍で何年も会えなかった母親。「誤嚥(ごえん)性肺炎であと2日」と聞いて駆け付けると、ぐったりとした様子で、私も覚悟を決めました。ところが2日目。顔をのぞき込んでいると、しっかり目を開き、「ありがとう」と懐かしい声が。手を握り、「安心して」と伝えると、うなずいてもくれたのです。その後、周りが驚くほどの回復を見せ、数カ月後、家族の心の準備ができた頃に、穏やかに息を引き取りました。 

私たちの人生は、誕生から終焉(しゅうえん)を迎える時まで、全てが神の手の中です。それを知っているだけでも、「どう生きるか」の意識は変わります。きょうも大切な出会いを見逃さないように、「みんなで心を重ね、一人一人の力を結集してお役に立てますように」と祈願して、偉光会館での一日が始まります。