私は、昨年奉職するまで看護師をしていました。ここ数年は、感染症の影響で、最期に立ち会う機会も多かったです。突然終焉(しゅうえん)を迎え、穏やかとは言い難い患者さんがほとんど…。ご家族の悲しみは深く、「あそこにさえ行かなければ」「何で感染したのか」と後悔を口にされます。つらい様子を目の当たりにして、「人生とは、何てあっけないものか…」と思っていました。
究極の救いがある神示教会
職員になって約半年、先日、初めて玉納奉寿に関わらせていただきました。故人さまにご挨拶をした際、私はとても驚きました。亡くなった方が、今まで見たことがないほど穏やかで、ほほ笑んでいるかのような表情をされていたからです。神魂の実在を、あらためて強く感じた瞬間でした。
どんなに心を尽くしても、医療では救えない命は数多く、ご家族の悲しみすら癒やせない。それが現状です。しかし、玉納奉寿に参列していた方々は、悲しみの中でも、故人さまへの尊敬や感謝の思いを穏やかに語られていました。ご家族も、「悲しいけれど、本人の顔を見たら本当に安心しました」と話されていて、その生き方を受け継ごうとする力強さがにじんでいました。
神魂と生きれば、悔いのない人生を確実に歩める。そして、迎えた終日には、玉納奉寿で、神魂のご存在を感じながら、遺族の心に安心感や生きる力を引き出せる…。医療にも人間にも絶対にできない、「究極の救いがここにある」と感銘を受けました。
間に合ううちに救われてほしい
誰もが、当然のように、あると思っている明日。その明日が来ない現状に、私は何度も立ち会いました。病院では救えなかった命…。でも、神示教会では、病院にかからずに済む生き方、病気、事故・災難に遭わない生き方を学べます。その価値を、一人でも多くの人に伝えたい。そう思って職員になりました。
「命は有限」と心に刻み、自分の今できることで、出会った方々に精いっぱい関わってまいります。