「神様、助けて」。目には見えない神のご存在を、初めて自分から求めたのは、小学校2年生の時でした。
その頃、一部のクラスメートにされた仲間外れ。「やめてよ」が言えない私は、家で泣いてばかりいました。勉強もスポーツも苦手、親しい友達もいない…。当時の私にとって、学校は苦痛な場所でしかなかったのです。
どうしようもなかった「心」が
家族に何度励まされても、「自分の気持ちを言わなきゃ」といくら言い聞かせても、言うことを聞かない私の「心」。子供ながらに絶望する思いでした。そんな私の手を握り、母が言ってくれました。「神様に助けてもらおう。年齢は関係ないよ。求める心が届くから」。母の言葉を頼りに、学校では個人用御神体を意識し、「気持ちを伝える勇気を下さい」と祈願。不安と緊張で乱れた心が、そっとベールに包まれるように落ち着いていきました。
大の苦手だった昼食のグループ作りも、心臓が飛び出そうな緊張を、必死に神に語りました。すると、背中や心を優しくポンッと押された感覚があって、「私も一緒にいい?」と言えたのです。気持ちよく仲間に入れてもらって、本当に楽しく食べられたあの時間。神様はいる! 絶対にいる!と感じたひとときでした。
この頃から、「神様は必ず守ってくれる。もっともっと神様に近づきたい」と思うように。毎週「実りの集い」に通ううちに、神のご存在や、家族の愛情を強く感じ始めました。そうなると、心に見る見るエネルギーが込み上げて、多少のことでは落ち込みません。勉強もスポーツも頑張れて、心を許せる友人もできて、気が付くと仲間外れはなくなっていました。それどころか、学校が驚くほど楽しい場所に変わったのです。
全力で届けたい「実りの集い」
今、私は職員として、「実りの集い」を担当しています。「せんせー!」と元気にハグしてくれる子、「何かをつかみたい」と一生懸命授業に臨む子。中には渋々…という表情の子もいますが、「どんな気持ちで来てくれたのかな」と思うと、全員がいとおしくてたまりません。
「実りの集い」でお伝えしているのは、実在する神が教えてくださる「本物の教え」。それを家族で学び、心に生かせば、必ず一人一人の良さが引き出されます。つらい出来事も糧となり、自分を輝かせる宝に変えられる。求める思いが強いほど、神は応えてくださる。その事実を身をもって味わったからこそ、皆さんにどうしてもお伝えしたいのです。「『実りの集い』で一緒に学び、たくさんの喜びを体験してほしい」。ことしも、偉光会館で心からお待ちしています。