かない始めた「調和」の日々

(大分県TK/60代女性) 

神の教えを学び、何度も耳にしてきたはずの「調和」。それをあらためて意識したのは、忘れもしない、偉光郷が完成する頃のことでした。神は、私たちが調和して生きることを願われている…。信者仲間と語り合う中で、そんな思いが深く胸に刻まれたのです。 

常に心を寄せてきた偉光郷 

実は、私自身は、「調和」とは真逆の環境で育ちました。祖父と父を早くに亡くし、その後、自分も離婚。実家に戻っても、母と心が重ならず、姉とも疎遠。どうしたら家族と調和できるのかも分からないまま、引き寄せられるように、毎年偉光郷を訪れました。押しつぶされそうな心も、この場所では不思議と前向きに。生きる力が湧き上がり、分厚い雲の上には、必ず澄み渡る青空があると信じられたのです。そうして年を重ね、ある時受けた教務相談を機に、母に向ける心がガラリと変化。家族の心が通い合う心地よさを味わい始めました。 

奥底に残る思いまで流れて 

ところが、半年ほど前。ふとしたことで姉と心が擦れ違い、自分でも驚くほど、気持ちが乱れました。年を重ねた母の持病まで悪化し、医師からは「みとりの覚悟を」と…。これではいけない、本気で心を立て直さなければと、何度も神示に触れ、偉光会館で祈願を重ねました。 

私の心を映すかのように、母の体調は一進一退を繰り返しました。そして、今年の春のことです。安明殿で祈願していると、誰かに、「争わないでくださいね」と、優しく言われたような気がしました。とっさに「はい」と答えながら、気が付きました。私は相手ばかり責めていたけれど、自分自身も、人と争うものを持っている。それが、相手の闘争心を引き出していたのだ…と。心がきれいに流れた瞬間でした。 

つながっていく家族の思い 

やがて、姉との関係は回復し、母も退院のめどが立つほど元気に。後は、要介護5となった母をどう支えていくか…です。そうした思いも抱えながら、5月には改修された偉光郷へ。故人、先祖に感謝を届け、心の芯まで包まれるような、安心感に満ちた時間を過ごすうちに、力が湧いてくるのを感じました。 

しばらくして、うれしい出来事が。体の弱い姉に代わり、めいが「一人では大変だろうから」と、母の介護を支えてくれるようになったのです。訪問看護の方々との出会いもあり、母は、別人のように体調が良くなりました。一層縁が深まっためいと、「家族の心がつながる唯一の鍵は、“愛の力”だね」などと話せる日々が、ありがたくてたまりません。人生の山谷を越えてくる中で、いつの間にか、私たち家族の心も、つながっていました。 

偉光郷が“新生”を迎える今、私は、これまでに味わったことのないほどの、「調和」を味わい始めています。本来変わらぬはずの心を変えていただいたことに、感謝しかありません。