家族の心がつながる御場所

偉光郷には、神が「御魂安置所(みたまあんちじょ)」とも表される神玉里(納骨施設)があります。神の御元に生きた証しである玉(遺骨)を納め、折に触れて大切な故人に思いを届ける。それが、いかに掛け替えのない時間であるか…。この場所で業務させていただく私は、日々、その重みを痛感しています。

故人の御魂にも深い安らぎが

ある時、神玉里で参拝を終えたばかりの若い女性が、晴れやかな声で教えてくれました。頬に涙の痕を残しながら、「じいちゃんに会えた! いっぱい話せた!」と。その日は、大好きなおじいさまの命日だったそうです。きっと、あふれる感謝や、家族と共にますます頑張る決意を伝えられたのでしょう。安心感と喜びに満ちた表情に、私も胸がいっぱいに。神玉里は、故人を感じ、思いを確実に届けられる御場所。その価値を、あらためてかみしめた出会いでした。

また、奥さまの納玉(納骨)を考えて、息子さん夫婦とお越しになったある男性。ご家族の中心的存在を失われ、皆さまが沈痛な面持ちでした。しかし、偉光郷で過ごすうちに、少しずつ明るい表情に。後日の「神玉の儀」(納骨の儀式)の際には、笑顔まで見せてくださったのです。「寂しいけれど、みんなで頑張ろう!」。儀式後、ご主人さまのお声には、力強さがあふれていました。亡き奥さまの「仕合せな人生を歩んでほしい」という願いが、ご家族にしっかり届いている…。熱い思いが込み上げました。

他にも、それまで多少の擦れ違いはあったものの、故人を偲(しの)ぶ気持ちでみんなが一丸となったご家族。深い悲しみの中でも、互いへの思いやりを忘れないご家族など、枚挙にいとまがないほどです。そうした姿に、故人の魂は間違いなく安らぎ、ゆったりと次の人生を待たれている…。そう感じられてなりません。

どこまでも深い神の愛の中で

振り返れば、神示教会の草創期。供丸斎先生は、信者の全人生を預かれる教会に…と、かねがね願われていました。それをかなえてくださったのが、直使供丸姫先生です。お二方の愛がこもる偉光郷。改修工事の折に表された神示からも、その御心が伝わってきます。

直使供丸姫の愛(おもい)が
        この施設を守っている
 供丸斎命が願い求めた施設が
  「真理」を深め
   今日(いま)
    信者の 手の届くところにある

(令和7年4月18日 偉光郷改修 清魂の儀 建物の清めの儀)

偉光郷の神玉里、そこにつながる全国の神玉園。ここに、故人の玉を納め、その人生に思いをはせる中では、我が家に流れる実体に気付くこともあるでしょう。それを機に、「しっかり心を磨いていこう」と仕合せに向かって前進していくところに、故人の魂はますます安心感に包まれます。私たちが“今”生き方を高めていくことで、子孫に良いものを残せるだけでなく、我が家の実体までも引き上げられる。神が表してくださったこの救いを、一人でも多くの方に味わっていただきたいと願っています。参拝、儀式、宿泊、食堂…と、多岐にわたる偉光郷の環境も、全ては、お越しになる皆さまのため。職員一同気持ちを重ね、これからも心を込めてお迎えさせていただきます。

 

※神示の全文は「菜の花ひろば」でご確認いただけます。