心臓に病を抱えていた母が、心の世界に旅立ったのは、7年ほど前のことです。明るくて、家族思いで、最後の最後までみんなと楽しく過ごしていた母。見事に人生を全うしていきました。しかし、あまりにも突然訪れた別れの時…。私たちの悲しみは大きく、「あの時こうしていれば」と、後悔で心が押しつぶされそうだったのです。
悲しみも、寂しさも癒やされて
玉納奉寿(葬儀)は偉光郷で行うことに。到着し、母を儀式会場に安置すると、張り詰めていた気持ちが、ホッと緩むのが分かりました。私たちも、そのまま偉光郷に宿泊。みんなで食事をし、温泉に漬かり…。母を思って過ごしていると、ふと、心に、その笑顔が浮かんできました。いつもと同じ温かい声で、「仕合せだよ、安心して」と語り掛けてくれたようでした。
翌朝、体がポカポカと温まっていく感覚で、目が覚めました。広い窓から差し込む陽光に、すっぽりと包まれていたのです。神は、いつのときにも、私たちの心を守り、導いてくださっている。人として生を頂く今も、魂の世界に戻ってからも…。胸に希望が湧き上がり、悲しみも、寂しさも、きれいに解けていきました。その日執り行われた玉納奉寿では、「母の愛深い生き方を、私たちが受け継いでいこう」。家族一人一人が、そう強く心に刻みました。
“心療所”で心安らぐ時間を
数年前に職員となり、現在私は、偉光郷で業務に当たらせていただいています。家族の心をつなぐ力のあるこの御場所には、皆さまが、それぞれに思いを抱えてお越しです。儀式のために、家族や身内とひとときを過ごしに、故人を偲(しの)んで、また、かつての私たちのように深い悲しみを抱えて…。「お一人お一人の心が、少しでも安らぐように…」と気持ちを込めて、お迎えさせていただく毎日です。
周囲を豊かな自然に囲まれた偉光郷では、日ごとに、また刻一刻と、輝きを変える景色も迎えてくれます。秀和の道会館の入り口からロビーに入ると、目の前に広がる大海原。海を覆う雲海、雲間から差し込む光、雨上がりの虹、満月が海に映し出す光の道、そして、また新たに昇る朝の太陽。人には決して成し得ない、完璧に調和した自然に触れるほど、神の深い御心が胸に迫ってきます。雨も、風も、照り付ける太陽も、闇夜でさえ意味があるのだと、すとんと心に落ちてくるのです。
偉光郷は、神の愛に満ちた場所です。ここでゆったり過ごすうちに、自分自身も愛の心が引き出され、不思議と家族の心が重なります。この喜びを、一人でも多くの方に味わっていただきたいと、願ってやみません。偉光郷で、皆さまのお越しを心よりお待ちしております。