(神奈川県YN/50代女性)
私にとって父は、ずっと厳しくて怖い人でした。学校から帰れば、必ず家の手伝いを言い付けられます。それが嫌で、避けるように過ごしてきました。中学2年生の時に父は亡くなりましたが、あまり好きではないという感情を抱いたまま…。この気持ちは変えられないものと、諦めてきたのです。
父の思いを考えてみると…
しかし、神に出会い、教えを学ぶうちに、父はどんな思いだったのだろうと考えるようになりました。父が厳しく家の手伝いをさせたのは、将来私が苦労しないためだったのでは…。心配してくれていたのに、冷たい態度を取ってしまって申し訳なかったな。亡き父へ向ける心が、少しずつ変化していきました。
初めて、神玉祭の期間に、偉光郷へ参拝がかなった時のこと。父に直接向き合って、しっかり思いを届けられたような、不思議な感覚を味わいました。「避けてばかりいて、かわいくない娘だったよね。寂しい気持ちにさせてごめんなさい」。心からのわびを父が受け止めてくれた…。そんな安心感に包まれました。
共に過ごした記憶が色鮮やかに
毎年、素直な思いを届けるうち、家族で過ごした日々が、次々浮かんできました。正月には餅つき。春には、よもぎを摘んでお団子作り。重箱にごちそうを詰めて、お花見にも行きました。そう振り返っていくと、布団の打ち直しや、障子の張り替えなどの手伝いも、楽しいひとときでした。
心臓が悪く、入退院を繰り返していた父ですが、横になっている姿も、つらそうな顔も見た記憶がありません。いつも家族中で庭作りをしたり、いろいろな場所へ出掛けたり。家族と過ごす時間を大事にしてくれていたのでしょう。数えきれないほどの楽しい記憶に、「確かに私は愛されていたんだ。こんなに思ってくれて、ありがとう」と、感謝があふれました。そして、「妹や弟とも仲良く、良いものを心の道に残していくからね」と誓ったのです。
安心してもらえる生き方を
父の思いを感じるほど、何かにつけて、きょうだいと声を掛け合ってきました。実家のこと、母のことなども、押し付けにならないように、相手の気持ちを聞こうと意識しながら。その繰り返しの中、念願だった、偉光郷への父の納玉(納骨)がかなったのです。皆の気持ちが重なった、今振り返っても、不思議としか言えない流れでした。
心の道のつながりを感じて
父が亡くなった時、扇の要がなくなり、家族がバラバラになったような寂しさがありました。しかし、「心の道」をつないでいただける偉光郷の環境によって、変わるはずのなかった父への思いまでが変化。今、折有るごとに家族、身内が集い、毎年、偉光郷に足を運ぶことができています。
偉光郷を訪れるたび、家族の絆が深まっていくのを感じます。これからも、感謝を忘れず、ますます心を磨いてまいります。