仕合せに向かう方へ心を使う 

(愛媛県KM/40代女性) 

一日を振り返りながら就寝前に読むことが多い「神の実在体験談」は、私の活力源です。皆さんの気持ちのこもった体験に触れると、“仕合せに向かう心”の使い方は「やっぱりこうだよね」と気付かせていただけます。 

家族の態度に寂しさを感じたとき、忘れかけていた相手の優しさを思い出したり、凝り固まった気持ちがほぐれて、涙と一緒にいとおしさがあふれたりしたことも、一度や二度ではありません。最近では、この体験談がそうでした。 

駄目な自分を認めたら… 妻に寄り添う心が次々と

駄目な自分を認められない 

中でも、心に響いたのはこの部分です。「『人から良く見られたい』見栄(みえ)の気持ち。この心がずっと、失敗や過ちなど、駄目な自分を認めることを阻んでいたのです。でも、ありのままの自分を、『これが私』と受け入れたら、夫婦関係が見る見る変わっていきました」 

駄目な自分を認めることを阻んでしまう…。私にもありました。家事や育児で疲れてくると、自分の思いを夫に押し付け、ついつい求めてしまう。自分都合の生き方に偏っていく原因は、素直に「助けて」と表現しない私の心にあったと、あらためて気付けました。 

不仕合せを招く心を方向転換 

分かっていても、弱い自分を認める勇気が持てないもどかしさ。そうしているうちに、夫への反発心がムクムクっと顔を出してくるのです。 

それでも、今までとは違う自分に少し変われました。反発心を放置したままにせず、“仕合せに向かう心”を求めて、すぐに祈願。不仕合せに向かう心を方向転換させて、切り替えられるようになったのです。 

しかも、駄目な自分を認められなかった私が、夫にこんなことが言えました。「心が擦れ違ったら、その都度、擦り合わせながら分かり合っていきたいから、よろしくね!」。大きく成長できた自分を実感できて、とってもうれしいです。