愛ある生き方を自分も 

(青森県YH/60代女性) 

体験談に掲載されたのは、私の友人です。難病の膠原(こうげん)病を長年患いながら、神と共に歩み、大きく救われている姿が書かれていました。 

掲載から間もなく、友人が声を弾ませて連絡をくれたのです。「膠原病を患う信者さんが、私の体験談を読んで、とても励みになったって聞いたんだよ」。その喜びを分かち合ったことを、今でも覚えています。 

心で感じる「神の実在」 難病でもあふれ出る仕合せ

友人は、体験談が載った半年後、心の世界へと旅立ちました。玉納奉寿(葬儀)の時の彼女は、とてもきれいで、安心感に満たされたような笑顔でした。神魂の愛に包まれて、今度生まれてくる時はもっと仕合せな人生を…と確約されたんだなと感じました。 

友人から教わったこと

在りし日の彼女から、私はたくさんのことを学びました。神を信じ、教えを心の軸に据えて努力し続けた姿は、まさに信念の人。誰からも愛され、周りの人たちを魅了する生き方は、私の憧れでもありました。 

私の知らない所では、つらくて、苦しくて、奥歯をかみしめながら乗り越えたこともあったでしょう。そうした中でも、人に温かい関心を示し、話を最後までよく聞いて、愛ある言葉が自然と出てくるのは、決して天性のものだけではなかったと思います。病気と闘いながらも、祈願して教えに生きる努力を重ねる中で育まれた、神からの賜り物のように感じるのです。 

人と触れ合う楽しさを

一方の私は、人と接するのが得意でなく、誤解を受けてしまうこともままありました。でも、彼女の姿を通して、自分から積極的に人と触れ合うようになり、それが楽しく感じる人生に変われたのです。「私の人生も、決して悪くない。ありだな~」そう思えるくらい心にゆとりができたことに、自分でも驚いています。 

彼女の体験談は、自分が苦しいとき、悲しいとき、うれしいとき、折々に読み返すことで、心のリセットにつながっています。 

信者である感謝を胸に

今は、いろいろな面で、素晴らしい時代だと思います。タッチ一つで、人生が好転していく体験談に出会える。神示教会には、納玉(納骨)施設があって、足を運んで、いつでも彼女の魂に思いを届けることもできる。人生の全てを守っていただける神示教会の信者であることに感謝し、愛ある生き方を磨いて、仕合せ、幸福を目指します。