神が願われる真実の救いへ(中編)

神が願われる「真実の救い」は、とてもとても深いもの。それを実現するために、供丸姫先生は、大山命と直接つながれる救いの手だて、「希望の光(みち)」を磨き続けられました。そこで得られる真の救いとは、何だったのでしょうか。

心を救い、魂を救い、安心感を

人は、神魂との強い絆を築き、大山命としっかりとつながることで、日々の「心」の動きが確実に守られていきます。一つ一つの判断が的確になり、形の救いも自然と付いてきます。
だからこそ、供丸姫先生は、一人一人の「心」を救うことに力を入れられました。
『心』が救われることこそ、どれほど大事なことか…。それが悪いものを残さないポイントです。そして、また生まれくることをかなえる重要事なのですから…。しかし、『心』を救い、『魂』を救い、『安心感』を与えることが、いかに大変なことか…。神の力と、本人の熱意、真心がつながること、すなわち『希望の光』が通ることこそ、その極意なのです」。

真実の神の力でかなう御魂送り

親・先祖からどれほど悪い因を受け継いでいても、この世に生を受けた以上、一日でも、一分一秒でも長く生き、自分自身の良さを発揮しきって、悔いのない生涯を歩み抜いてほしい…。それをひたすら願われて、供丸姫先生は神の力で限界の限界までお守りくださいました。
そうして迎えた人生の終日。何も思いを残すことなく、安心して旅立てるように、これまた神の術を施され、「御魂送り」をしてくださったのです。大山命だからこそかなう「御魂送り」とは何か、供丸姫先生はこうお教えくださいました。
人は、いつかは世を去らなければなりません。この世を去る時、家族や子孫のことが気になる、仕事のことが気になる、それに加えて死に対するおびえ、同時に肉体面における苦痛もあります。そうしたもろもろの葛藤の中で、神は御魂送りを計らってくださいます。御魂送りとは、さまざまな運命の中で迎えた人生の最後に、先の不安がないように、家族、子孫のことも心配せず、肉体的な苦痛も全て取り去り、再び生まれ変われる約束もしてくださり、本人の魂が納得して、素直な気持ちで旅立つのです。ですから、何のおびえもなく、安心して、本心からほほ笑むのです」。

それを証明するかのように、御魂送りを受けた故人は、誰もが実に穏やかな表情に変わります。重い病で苦痛にゆがむ顔も、きれいな顔に一変。それは、大山命が、供丸姫先生の御姿をその人の前に示し、手を差し伸べてくださるからです。その時に、神と心が重なる人ほど、確かな救いに安らぎを覚えるのです。
一つの生涯を終えた魂が、来世、未来への希望に満ち、大山命の御元で次の人生を穏やかに待つ。これが「魂の救い」です。神魂を通じて神とつながる不思議な世界。まさに、神業としか言いようのない奇跡に、今も多くの人々が神の実在を味わっています。

 神  示
人間の正体は魂
  その魂は
   神の手の中 肉体に宿され
    「運命」に導かれて
         奉仕の時代を生きる
その「姿(運命実体)」は
  終日を迎えて 神魂に包まれ
        次の時(人生)を待つ
この真実を「魂の永続」という
ああ
 「人生」尊きもの(時代)と悟るべし

『真実の光・神示 平成27年版』11ページ