神が願われる真実の救いへ(前編)

人類を救う確かな手だて、「希望の光(みち)」が表され、神魂そのものである直使供丸姫先生を窓口に、神と人間がつながれるようになりました。そこに得られるのが、全ての基となる「心の救い」。常に心が安心感に包まれて、穏やかな毎日が送れる仕合せ。心が安定しているから、私たちが持つ生命エネルギー、「運命」の力が遺憾なく発揮されます。医学、科学では説明できないような治療成果が出たり、結果が吉へとつながったり、形の奇跡も伴いながら、安泰な人生が歩めるのです。

救いの道を揺るぎないものに

供丸姫先生が持たれる「直使の運命」が放つ救いの光、「直使の偉光」、すなわち「神魂」。それは一体何なのか…、供丸姫先生はこのようにお教えくださいました。
神魂とは何か、人間で例えるならば心臓部です。神が奇跡を生み出す力そのものが神魂、大山命のエネルギーです。神の力です。直使の偉光に導かれ、神は実在を世に示されます。光は神魂、すなわち神の力です。この真実を、今こそ悟らなければいけません」。

人類が未来永劫に救われる手だて、「希望の光」を確かなものとするために、供丸姫先生はさらに厳しい救世の道を歩まれました。この世の仕組み、仕合せ・幸福を得る真理の数々を示す一方、一人一人に目を向けて、必死に救おうとされた供丸姫先生。そのご日常は、言語に絶するすさまじいものでした。

救世のわざに驚くべき奇跡が次々と

そのような中で、供丸姫先生の御元には、喜びと感謝の報告が次々と届きました。「ありがとうございます。家族中が救われました」「供丸姫先生のおかげと、感謝しても、感謝しても、し尽くせない思いです」「このご恩を必ずやお返しできるように、多くの方々に神の存在を…」。救われた方々から寄せられる言葉こそ、日々の生活で、人間的な喜び、楽しみなど何一つない供丸姫先生にとって、何よりの喜びであり、栄養剤であるとも語られました。

悪性腫瘍が転移し、手の施しようがないとまで言われていた方。ご守護のおかげで、開腹手術をしてみると、散らばっていた腫瘍がまとまり、しかも良性だったとの驚くべき報告。それに対して供丸姫先生は、「信じられない奇跡です。神の力で良性に変化。それはそれは不思議な術で、4カ所、5カ所と散っていても、いざ手術すると1カ所に固まっていたり、悪性が良性に変化したり、人知では考えられない奇跡が起こります。神の力は、本当に有り難いものです」と。そうした絶大な神のお力そのものを動かすのが、神魂の存在だったのです。

連日、「助かりました」「守られました」「救われました」「不思議と心の動きをお導きいただきました」と、引きも切らずに寄せられる声。
ずっと一口も食べられず、点滴だけで命をつないできた少年。その両親から、「何と食べられるようになったのです。また我が子の笑顔が見られました」と御礼が。それに対して、供丸姫先生は思いを漏らされました。「うれしくて、うれしくて、言葉もないです。一粒でもいいから、ご飯を食べさせてあげたかったのです。『食べられるようになった』と目にした途端、涙があふれて止まらないです。うれしい、うれしい、うれしい、うれしい、うれしいです。祈祷(きとう)の苦しみが消えていきます」と。

しかし、喜びに浸る間もなく、涙を拭いては、またしゃんとして、神のお力でもろもろの救世のわざを施される供丸姫先生でした。

今日を迎えるために苦難の道が

今日の神示教会にも、驚くほどの奇跡の数々が日々起きています。それは、「希望の光」が通る生き方を学び、自ら神とつながって、心が変わり、奇跡を味わえる、当時からは考えられないほど恵まれた時代だからです。こうした今の時代を迎えるために、供丸姫先生の苦難に満ちた茨の足跡があったのです。