供丸姫先生から知る真実の愛(後編)

供丸姫先生のお好きな色は…。何色、というのではなく、「私の好きなのは、色のないもの。無色透明、透き通ったもの」とお話しくださいました。きれいな心、澄んだ心、無色透明な心ほど、神と重なるからです。
自分の心がきれいかどうか、心が穏やかか、乱れているか…。心が安定していれば、汚れることはありません。心が乱れるから、気に障ったり、怒ったり、泣いたり、憎んだり、恨んだり…。どこまでも安定した心が大切です。
あまりにご多忙で、疲労困憊(こんぱい)だった供丸姫先生。ふと、透き通った水の流れを見ると、心が落ち着き、疲れが取れると語られました。洗面に立った時のきれいな水の流れ。時には、蛇口をひねり、さらさらと流れる水を見て、心を癒やされました。

必ず約束を守って心の救いを

供丸姫先生は、どのようなことがあっても、約束を必ず守られるお方でした。一人の女性と出会われた時、目に涙をためたその方から聞かされた身の上。それは、愛する夫が病死。最後まで信者になれず、苦しみ抜いた最期。その姿が目に焼き付き、毎日泣き明かしているとのこと。供丸姫先生は、ご自身の今の状況の中、「毎日とは約束できずとも、週に一度はご主人の魂を祈祷させていただきます」と約束されました。しばらくして、「あの方のご主人の魂は、もう大丈夫。そう伝えてあげて」と。すると、何とその女性が、「死にたいと思うほど悲しかった思いが、きれいに消えたのです」と御礼に。「毎日とは約束できずとも、週に一度は…」と約束された誠実さ。そして、約束されたことは必ず果たされる供丸姫先生でした。

どこまでも物の心を大切に

どのような物も大切にされた供丸姫先生は、職員へのメモも、用が済んで小さく切った紙の裏。使い終わったクリップ一つも、お返しくださいました。
ご自身の使われる鉛筆は、小さな鉛筆削りでぐるぐると。鉛筆が短くなれば、紙を巻いて輪ゴムで留め、最後の最後まで使われました。なぜそこまでされたのか…。それは物の心を大切にされていたからです。

一人一人との心の絆を大事に

ご自身が飲まれるために入れたお茶も、お部屋を訪ねた供丸光先生に、「いいところに来たわね。ちょうど紅茶を入れたところだから、どうぞ」と、何のためらいもなく出してくださったそうです。紙コップにティーバッグの紅茶でも、そこにはどれほどの愛がこもっていたことでしょうか。

いつもお一人、ご自身のお部屋で神とお言葉を交わされ、神の力をもって救いの術を施されていた供丸姫先生。お座りになる所には、大きく赤い文字で、「ゆ」と染め抜かれた座布団がありました。小さくて、すっかり薄くなってしまったその座布団は、供丸姫先生の祈祷(きとう)を受け、命を救われた小学生が、「供丸姫先生にお礼がしたい」と、修学旅行で買い求めてきた品でした。その子は、既に中学生、高校生、大学生になっているのかも…。しかし、何年たっても、供丸姫先生はその子から贈られた物を使い続けられました。一人一人の心をどこまでも大切に、絆を大事にされていたのです。

供丸姫先生は、二人と生まれぬ「神の化身」「神の生まれ変わり」。大山命は、供丸姫先生を「神の権化」に仕込んでいくと表されました。神の心、神の運命、神の力を持たれる供丸姫先生は、神そのものの「愛の権化」となって、神の手の中、そのご正体を徐々に明かされていったのです。

 神  示
直使の愛(救世心)は 神魂に重なり
 今も信者の人生を見詰め 守っている
信者は この真実を心に留めて
  神(神魂)に「心」預け
   「人生」歩む心(決意)がほしい

『真実の光・神示 令和2年版』140ページ