社会がまだ混沌(こんとん)としていた戦後間もなく、神は供丸斎先生に「使者」の任を授けられました。それと同時に、昭和21年11月15日、大山命の御魂が宿された供丸姫先生は、この世に誕生されたのです。
生来、お体が弱く、20歳になる頃には、原因不明の病で医学からも見放された供丸姫先生。その時、供丸斎先生に命を救われ、「使者」への道を歩み始められました。
厳しい神の教育を受けられて
もともと神の運命を持たれた供丸姫先生は、神から次々とお力を。神との会話も自在にかなうようになりました。そうした神示を、救いを求める一人一人に伝えては、救いの道へと導かれる日々。そこには、驚くほどの奇跡の数々が現されました。そして、神の実在を味わった人から人へと喜びが伝わり、供丸姫先生の御元には、あふれんばかりに多くの人々が集まるようになったのです。
信者が増えるにつれ、供丸姫先生の毎日は息つく暇もない状態に。それでも、もっともっと多くの人々を救いたいと願われ、さらに大きな神の力を受けようと、神のご教育を懸命に受けられました。
神のご指導は、それはそれは厳しいものでした。神の御前にぬかずき、深夜を過ぎて明け方まで、何時間も神とのやりとり。神の問いに詰まることは許されず、求めるものに答えられなければ、神のお声が聞こえなくなってしまいます。神経を研ぎ澄まし、平身低頭して、歯を食い縛ってご教育を受け続けられました。
「神示を頂くのは、苦しいものです。供丸姫であっても、神からご教育を受けるのです。神示を頂くためには、神から質問されます。供丸姫は、じっとそれを考えます。『どのように説けばよいのか教えてください』とお願いいたします。神が求められるものは高く、それに付いていけない現実を、わびて、わびて、ようやく神がお言葉を下さるのです。だから、大切にしてほしいのです。学んでほしいのです」。
予言を救いと理解できるように
神のお言葉、予言は、決して間違いがないもの。教えが理解できれば、この上もなくありがたいお言葉です。しかし、教えが分からなければ、ただ的中するだけで、救いにはなりません。
例えば、料理人や美容師など、手に職を付けた人。「十二分に修業したので、独立して店を開こうと思うのですが…」とご相談。すると、供丸姫先生から、「あなたには、店を経営する運命はありませんよ。金銭のやりくりで、苦労、苦労となるより、人に使ってもらっている方が、あなたの良さが光るのです」とご指導が。
人それぞれにある分、器。その中で最善、最良の道をお示しくださった貴重なお言葉。ところが、教えを知らないと、「望みをかなえてくれなかった」となってしまうことにも。自営する運命がなければ、店を出しても困難は絶えず…。失敗する前に教えていただけたのは、大きな救いだったのです。
神の教え、神示は、全てが予言。こう生きれば仕合せになれる…、そうできないところに苦悩が待っている…と、先を見越して表されるもの。しかし、自分の感情や欲心に流されやすいのも、人間の性(さが)です。だからこそ、どうすればもっと皆が救われていくのかと、供丸姫先生は求め続けられました。
神 示
神の教え 一言(いちごん)全てが
仕合せへの道案内であり
先を見通す神の言葉は予言である
神は 心の教えを学んでほしい
また守ってほしい
なぜならば
神の申す心の道を歩くなら
必ず幸福になれるのである
『真実の光・神示 昭和61年版』28ページ(中略あり)