教会設立三十周年記念会館が
昭和28年の神示教会設立から30年を数えようとしていた昭和56年、神が建設を指示されたのが「教会設立三十周年記念会館」です。その建設地は、戸部の総本部ではなく、開設からまだ10年余りの宮元分教所、供丸姫先生の御元でした。
神から指示を受けられた供丸斎先生は、「あそこに神の館を建てるように、神は言われている。あの場所は、貴人の座である。よって、供丸姫の運命でないと、まことの建物は建たないのである」と言われました。
その場所が、今の「真実の光(みち)会館」のある所。供丸姫先生が生まれ育った宮元の地こそ、人類を永遠に救う尊い御場所だったのです。そして、神示教会の基礎固めを象徴する「記念会館」の土台が、やがて大神殿「真実の光会館」の土台と合体。このような不思議があるでしょうか。全ては、神の手の中で計らわれたことなのでした。
神の館中心主義を神は色濃く
「教会設立三十周年記念会館」の建設が進む昭和57年、この土地の価値、館の持つ力を、供丸姫先生はこのように表されました。
「神の館への出入りを呼び掛けてほしい旨、徹底した神の館中心主義を、神は打ち出されています。神が宿る場において、祈願するのも、学ぶのも、どれほど遠くからいらしても、それだけのことはあることを伝えてほしいのです。神は、全てを神の館でという方針を、色濃く打ち出されています」。
神が選ばれ、神が供丸姫先生の御姿をもって降臨された尊い神地。何から何までこの地を中心に事が進むことを神は見据えて、救われるためには繰り返し出入りすることを促されたのです。
「神総本部」が誕生して神の町に
昭和58年に記念会館が完成して間もなく、昭和59年、神のご指示で「総本部」が、神示教会の設立された戸部の町から、供丸姫先生の御元、宮元町へと移されました。さらに、昭和62年11月15日「聖日」をもって、供丸姫先生のご正体が神と明かされるのに合わせて、総本部は神が根付く「神総本部(しんそうほんぶ)」と改められたのです。
神総本部一帯を見渡す丘の上に立たれた供丸姫先生。そこから辺りを見下ろされ、「町全体が神の色に輝いている。やがてあそこは…、あそこは…」と指さされながら、いずれ立ち並ぶであろう教会施設を予言されました。
そのお言葉のとおり、一つ一つの建設が着実に進み、「愛光会館」「光寿会館」「信光会館」「和光会館」、そして大神殿「真実の光会館」、また「望会館」「友和会館」「清明会館」…と、整備され続けています。
大神殿の建立に神の深い意図が
供丸斎先生も、供丸姫先生も、切に願い続けられた大神殿の建立。それは、神の願いそのものでした。そこに、どれほど深い意図があったことか…。
「真実の光会館」の着工に当たり、供丸姫先生は御自ら建設用地に足を運ばれました。小雨が降る中、広大な敷地の中央に立たれ、供丸光先生に土地全体を清めるようにご指示を。そして、清める様子をじっと見守られた供丸姫先生。ここに大神殿が完成するのと同時に、ご自身の御魂、神魂が宿され、「直使」としての使命が完結することを、大山命と供丸姫先生だけがご承知だったのです。
平成14年9月17日「神魂誕生」と時を重ね、大神殿「真実の光会館」が完成。供丸姫先生に宿された神の御魂、神魂は、ここに鎮座されることとなりました。人類を未来永劫(えいごう)に救い得る、この世に唯一無二の尊い館の誕生です。
神 示
真実の神こそ まことの救い主
――大山命・古生童子直使の御魂
まこと(真実)の神の御光に
包まれ 光る「真実の光会館」に
奇跡渦巻く御光(ごこう)が差し込む
ああ もったいなや
有り難き 貴(たか)い貴い存在に
多くの人々救われてゆく
「真実の光会館」は
神の化身 直使の御魂
すがる者皆救われる
まこと(真実)の
救世御所(おんどころ)
『真実の光・神示 平成13年~14年版』14ページ