供丸姫先生から知る真実の愛(前編)

神のお言葉、そして供丸姫先生の人を救い得る不思議な力を求めて、多くの人々が殺到した昭和の後期から平成にかけて。そこには、どこまでも温かい供丸姫先生のお人柄と、絶対に外れることのない予言力、目を見張るほどの奇跡の数々がありました。救われた喜びが渦を巻くように、来る日も来る日も供丸姫先生の御元には、人々が詰め掛け、足の踏み場もないほどに。「信者 世の人は 蜜に群がる蟻のごとくに集まるのである」と神が予言されたとおりでした。

神の心で人を救えるようにと

そうした中、供丸姫先生は、いつもどのような思いでいられたのか…。それは、「一人一人を救いたい」、また「一人でも多くの人々を救わなくては…」「人類を永遠に救う手だてを…」と、ただただ救世あるのみでした。そのために、神の力を「もっと、もっと…」と求め続けられたのです。

ご自身が「神の心」に近づくほど、「神の力」も付いていくと、神から言い渡された供丸姫先生。ですから、神の言葉以外のもの、特に人の言葉に心を動かさないことと、神から厳しくご指導が。また、供丸姫先生の御心が安らかであるほど、多くの人々を救い得るとも、神は表されました。とにもかくにも人を救うことのみ、1日24時間、1年365日、常に「救世一筋」の供丸姫先生だったのです。

供丸斎先生への報恩の思いで

供丸姫先生のお命があるのも、神の実在を知ることができたのも、今日の神示教会があるのも、全ては供丸斎先生のおかげ。だからこそ、供丸姫先生は、供丸斎先生に対する強い報恩の思いで、ご自身の任に当たられました。
無なる荒野にたった一粒の種をまかれ、それを耕す茨の道。それがどれほど大変なことであったか…、何も語られない方だっただけに、供丸姫にはその茨がよくよく見えます。供丸斎先生の歩んでこられた苦しみ、つらさが、同じ道を行く供丸姫にはよくよく見えます。供丸斎先生の苦難の道あればこそ、今、真実の神、大山命にすがりつくことがかないます。神の御名を、実在を、全く何も知らなかったこの世の中に、説き教えてくださった大恩人です。そして、神の教え、神、仏、人の道を世に表してくださった大恩師です。大恩人であり、大恩師であり、救世主。神は、この大恩をいかなることがあろうと忘れてはいけないと言われます」。
この供丸斎先生に対する報恩の思いがあったから、そして一人一人を救いたいと願う強い救世心があったから、供丸姫先生はどれほどつらい茨の道でも、歩み続けることができたのです。

 神  示
「直使の人生」支えた軸(もの)は
       使者供丸斎への報恩の心
この心が
 使者供丸斎の
  救世人生を受け継ぎ 「生きる」
       決心(こころ)を固めた

(令和6年11月15日 聖日記念祭『友輪』343号18ページ)

供丸姫先生の、供丸斎先生に対する揺るぎない報恩の御心。私たち一人一人も、感謝はもとより、報恩の思いを強く持つことが大切です。それが、神の教え、真理に生きる「努力の心」を引き出すからです。