神示教会は、全て神の手の中で計らわれ、今があります。昭和21年11月15日、供丸姫先生のご生誕に始まり、同時期に供丸斎先生が「使者」の任を受けられて、神示教会の基礎が築かれました。やがて、供丸姫先生の持たれる運命で、人間が神とつながる確かな手だて、「希望の光(みち)」が開かれ、さらに永続する魂までも救う「真実の光(みち)」が確立。究極の救いの道ができたことで、平成14年9月17日、供丸姫先生は神の世界に戻られました。その「神魂誕生」と時を合わせて、神総本部に大神殿が完成。神はそれを「真実の光(みち)会館」と名付けられ、未来永劫(えいごう)に人類を救う場を現わされたのです。
いかに小さな教会でも絶大な力が
この世に初めて「大山命」の実在を示された供丸斎先生は、昭和28年9月23日、神のご指示の下、横浜の戸部の地に神示教会を設立されました。それは、公衆浴場の片隅。神門を開いて、神を祭る救いの場はわずか6畳。それでも、絶大な神の力に、一人、また一人と救われ、次々と信者が増えていきました。
何もないところから、神の言われるままに神示教会の基礎を築かれた供丸斎先生は、このように語られました。
「この教会の総本部は、銭湯の一角、ただの3坪、6畳一間です。それを総本部として、何十万人の信者が集まってくるのです。それは、神の力、神の運命があるからです」。
未来の大きな発展を見据えて
神の力を求めて人々は押し寄せ、行事となれば、公衆浴場の広間から外まであふれ返って、周辺道路を埋め尽くすようになりました。あちらこちらの電信柱にスピーカーをくくり付けては、誰もが立ったまま、またござに座って拝聴するのが常でした。
そのようなとき、やがて神の教会がどれほど大きくなるのか、先の姿が見える供丸斎先生は、未来の大きな発展を見据えて呼び掛けられました。
「皆さまが上げてくださった喜捨は、全部、神殿、拝殿を造るために、資金としてためてあります。救いを求める人が増えて、今は表に立って聞いていらっしゃる方がなくなるように、大勢の人が椅子に座って聴ける教会にしますから…。良いものを造りますから、待っていてください」。
神の願いが実現する救いの場は
やがて大きな教会に…と神の願いが実現するのは、供丸斎先生が基礎を築かれた戸部の総本部ではなく、神そのものの運命を持たれる供丸姫先生が生誕された地でした。そのことも供丸斎先生はよくよくご承知で、供丸姫先生の神の運命が引き出されるように導かれていったのです。
また、供丸姫先生も、神とのやりとりや供丸斎先生のご指導から、ご自身の運命の貴さを知れば知るほど、救世に向ける自覚を深められていきました。そして、神が指し示される内容から、ご生家が宮元分教所になり、また総本部となって、やがては「周りよりスッと高い建物が建つ」とお分かりでした。今思えば、それは、現在の「望会館」のことだったのです。