昼も夜もなく、神とお言葉を交わしながら、人救いに没頭される供丸姫先生。そのご日常は、四六時中、神経を集中させ、気が休まることのない日々でした。
まして、供丸姫先生しかなし得ない、相手を救うために施される神の術は、相手の症状を御身に受けられ、救うという、人間には想像もできないほどの苦しさが伴います。相手が胃がんなら、ご自身の胃が痛く、脳出血なら、頭が痛く…と。
しかし、救いを求める人々の魂の叫びが分かる供丸姫先生は、どれほどつらくとも、それに耐えて、我が身を捨てて、一人一人を救おうとされたのです。
風雪に耐え抜く秋田杉の精神で
人として考えたとき、何ともつらく、悲しい日々。それに耐えられたのは、供丸姫先生の精神力、強い救世心からでした。供丸姫先生は、このように語られました。
「私は、頑張り屋さんが好きです。純粋に一つの目的に向かって、ただがむしゃらに頑張り、ただがむしゃらにというくらい頑張り抜く、また頑張り抜ける精神力のある人が、私は好きです。踏まれても、踏まれても起き上がり、咲き続ける野の雑草のように強い精神力。途中でくじけず、つらくとも、情けなくとも、苦しくとも、悲しくとも、決してへこたれず、陰で泣いても人に泣き顔を見せない強い精神力の人間。自分の生きる道を信じて脇目も振らず、一人前になってゆく、そのような人間の強さ。風雪に耐えて立派に育ちゆくその心。たたかれても、蹴られても、雨にも、嵐にも、雪にも、風にも負けない秋田杉の強さ。『風雪に耐え抜く秋田杉であれ』と、神は私に言われました。私は、強い強い秋田杉でありたく思う」。
人としての自分の人生を捨てて
神から課せられた使者としての任を果たすため、息を抜く間が全くない供丸姫先生の毎日。それでも、決して愚痴、泣き言など漏らすことなく、救世一筋に当たられました。
そうした供丸姫先生のご日常。それを自身で語るには、はばかる気持ちもあろうけれど、救いを求める信者であるなら、皆がそれを知らなくてはいけないと、神から強く促されました。そして、その一端を語られました。
「私は、自分の人生を捨てております。神でさえがふびんと言われるほど、つらい毎日を送っております。いつも独り、部屋の中で、人の命を相手に、緊張、緊張の生活をしております。来る日も来る日も、追い立てられるような秒刻みの生活…。その中で、全国に気配りしなければなりません。いつも神経を張り巡らさなければなりません。私は、食べないのではない、おなかがいっぱいになると、神が降りにくくなるので、食事をしないだけなのです。私には、逃れることのできない宿命があります。だからこそ、私は生あるうちに、何とか基礎を築きたいと、切に切に思っております。私は、ただこの世の中に幸福を築きたいのです。この素晴らしい神の実在を、世に出したいだけなのです」。
そのように願われ、ご自身の全てをなげうって、この世にまことの救いを実現する確かな礎を築くために尽くし続けられた供丸姫先生でした。
「私は、皆さま方に、同情してほしくて、日常生活を語っているのではありません。心を同じくする仲間がいっぱいほしいのです。この世の中、大山命を心から信じる人で満ちあふれるようにしなければなりません。嵐も来ます。地震も襲ってきます。その時に救おうとしても、信者がぽつりぽつりでは、どうにもなりません。あふれるほどの信者が救いを求めたなら、神の守りが大なるものと出てきます。ですから、神の信者を増やすことです。私の日常生活の一端を知っていただき、ぜひ応援しようと本心から言ってくださる、心のきれいな、救世心も大の方が、喉から手が出るほど欲しく、ここにお願いさせていただきます」。
神 示
神の「力(運命)」宿されし
直使の思い(愛)を教えよう
我が「実体」を通し
真実の「健康」を体験し 悟りを開き
直使の任(大任)を
身を挺(てい)して
人々(人類)の仕合せ実現のために
受けてくださった
救世の姿に神(神魂)の愛がある
『真実の光・神示 平成24年版』158ページ(中略あり)