Q 教えに生きるのは我慢すること?

人間関係

神の教えを学んでいない友人が、伸び伸びと生きているように見えて仕方がありません。教えに生きることは、我慢することでしょうか。

神の教えは、生活を制限したり、窮屈にしたりするものではなく、一人一人が持つ可能性をどこまでも広げ、本物の仕合せを手にして生き抜くための知恵です。

進路、恋愛、バイト、仕事…。さまざまなことを自分で考え、選択しなければいけなくなるこの時期。誰もが多かれ少なかれ、思い悩むことがあるでしょう。明るく見える友人も、それはその人の一面で、人知れず、心に抱える思いがあるかもしれません。

神の教えは 人生の正道を伝える真理である
 よって 教えを学び 知り 守らんとするところに 仕合せが手に入るのである

神の教えは
    人生の正道を伝える真理である
 よって 教えを学び 知り
    守らんとするところに
      仕合せが手に入るのである

『真実の光・神示 平成15年版』25ページ

人生の主人公は自分です。一つ一つの判断、選択が自分の人生を決定づけていきます。人のせいにはできないのです。しかし、選択の連続の毎日、自分に頼れば行き詰まり、人に頼れば迷うのも現実です。そのようなときに、教えを学ぶ価値が鮮明になります。なぜなら、答えは、必ず教えの中にあるからです。

仕事で生きがいを得るには…、家を居心地の良いものにするには…など、学べば学ぶほど、今自分に必要なことと、こだわらなくていいことが見えてきます。だからこそ、迷いが取れていくのです。

人類の仕合せだけを願って表される神示は、神の愛そのものであることに気付いて、あらためて教えを学び直してみましょう。そして、できることから一つ一つ取り組んでいくのです。確かな軸のある、良い意味で気楽な生き方が、きっと手にできます。