(兵庫県MI/50代女性)
子供のことで父と言い合いになり、その後に起きた問題が原因で、さらに関係が悪化。「話し合いたい」と伝えても、「おまえの話は聞きたくない。この家の敷居はまたがせない」と言われてしまいました。
母が、私の悪かったところを教えてくれたので、すぐに謝りに行くと、翌日には父からもLINEで謝罪が来ました。和解できたと思っていたのに、父の当たりは一層きつくなり、ついに「おまえの世話にはならない」と避けられるようになったのです。
教えから目を背けていた
何とかしなければと思う半面、「父の兄妹、親戚と同じように私も縁を切られた。もうどうしようもない。かえって、我が家に首を突っ込まなくなったので気が楽」と思っていました。
しかし、『友輝27』の「家族と家庭」の節を読んだ時、図書は赤線だらけ。私は、神の教えから目を背けていたことに気付いたのです。
さらに、この神示(81ページ)を目にして、「もういいやではない。真剣に取り組まなければ」と強く思いました。
人との出会い その中で
親との出会いは
「我の人生」基となるもの
この親との出会いを
心正しく受け入れられぬ者は
我が人生「道」が途絶える
親との関係が盤石な立ち木に
「立ち木の真理」を自己流に解釈していたことにも気付きました。親からつながって、今の我が家がある。だから、父との関係を無視して、自分の立ち木が盤石になるわけがない、と考えを改められました。
解決策に悩んでいたある日、母が父の本音を聞いてくれ、コミュニケーション不足で、気持ちに行き違いがあったことが分かりました。もう一度、素直な気持ちで謝罪すると、「きょうでいがみ合うのはやめて、和解しよう!」と言われ、本当にうれしかったです。
親に向ける気持ちや、家族の大切さを教えてくれた『友輝27』に、心から感謝しています。