仕合せ、幸福を一人残らずに味わってほしい…、それが神の願い。ですから、神総本部から遠く離れていても、いつでも神と触れ、教えに沿って開運への道を歩めるように、各地に神総本部の分身となる神所をお授けくださいました。長い年月、その実現を、供丸斎先生も、供丸姫先生も切望されて、今、現実のものとなっているのです。
長い間の願いがかなって開所へと
神示教会の草創期には、総本部の施設すら十分ではなく、離れた所に住む人たちのためには、救われた感謝も厚い信者宅を借りて、行事をするしかありませんでした。ですから、一日も早く布教所がほしいと、供丸斎先生は切に願われました。
しかし、総本部であっても、神は恒久的な施設を、戸部の町には造られませんでした。やがて神が根を下ろされるのは、神そのものの供丸姫先生の御元。現在の神総本部がある宮元の地と、供丸斎先生も分かっていらしたのです。そしてまた布教所も、ご自身の代では実現しないことをご承知の上で、淡々と基礎づくりに当たられました。
供丸姫先生こそ神そのものの存在と、そのご正体が明かされた「聖日」を迎え、いよいよ「まず地区ごとに 布教所づくりを立ち上げよ」「布教所づくりの基本は一つ 『直使の御魂をこの地に運ぶ』」と、神からのご指示が下りたのです。
すると、すぐに茨城、石川で候補地が挙がりました。茨城も、石川も、供丸斎先生が何度も足を運ばれた地。その2カ所で並行して工事が進み、昭和63年12月4日に茨城布教所、続いて平成元年3月29日に石川布教所が、相次いで誕生したのです。
何とか供丸斎先生がご存命のうちにと、誰もが願った布教所の完成。しかし、それはかなわず、「代神誕生」直後の茨城布教所開所式で、供丸姫先生はこのように語られました。
「布教所開所式の本日、供丸姫は、代神の御魂と一緒に、この地に参りました。思えば、供丸斎先生にお供させていただいて、初めて訪れた地がこの地。その時、供丸斎先生は、私に言われました。『この地に布教所を造りたいね』『この地は、あまりに不仕合せな人が多過ぎる』と。供丸姫は、そのお言葉を耳にした時に、この恩人の願いを何としてもかなえなくてはと、心に強く誓いました。神示教会、布教所第一号の誕生。ただ一つ残念なことは、供丸斎先生ご存命のうちに、この布教所開所式にお供させていただきたかったと思うことです。それだけが無念ではありますが、これも神の手の中、神の深いお考えの基なすことと、供丸姫は承知しております。ですから、本日こうして代神の御魂と共に迎えられた布教所開所式、今、願いをかなえて差し上げられた喜びに、供丸姫は泣ける思いでいっぱいでございます」。
全国にまことの救いを生む神所を
茨城、石川に続き、愛媛、山形、山梨、香川…と、矢継ぎ早に布教所が誕生。神示教会の未来の姿を予言されていた供丸斎先生。そして、ご自身の持たれる神の運命で実現へとお導きくださった供丸姫先生。
神の御魂が宿る神所の価値を、供丸姫先生は開所式に当たり、このように呼び掛けられました。
「希望の光(みち)を歩く人には、信じられないような奇跡がこの地に生まれます。救いの御場所である、直使の偉光が渦巻く、代神の思いがこもっている、この救いの場に来て、真剣にすがってください。救いを求めてほしいのです。必ず奇跡が出ます。神に二言はありません。きょうからこの地に奇跡がいっぱい生まれます。皆さま一人一人が受けている悪い実体を断ち切ってください。希望の光を歩いてください。供丸姫は、皆が歩く希望の光に奇跡を表します。お約束いたします」。
布教所が全国で20カ所を超えるほどになった時、神はその名称を改められました。「偉光(ひかり)に包まれ 幸ある家(や)の意の元 『偉光会館(ひかりのやかた)』」と。
全国の偉光会館には、代神、直使の深い愛がこもっています。ですから、心を寄せれば寄せるほど、必ず救いにつながるのです。
神総本部の分身である偉光会館の輪は、今や全国に広がり、38カ所に。神総本部から遠く離れていても、多くの人々が救われるようになりました。ですから、感謝して出入りし、活用し尽くしましょう。「絶対に仕合せ、幸福を勝ち得る」という熱意が必要です。それが、直使、代神が何より喜ばれることなのです。
神 示
この地を見守る
直使 代神の思い(愛)
見えるかや
直使 代神の愛は
神魂の時代を迎え
信者の心迷わぬように
神へと導き つなぐ
神の愛(力)となったのである
変わらぬ愛こそ神の力
その真実の愛を得て
この地は栄えてゆくであろう
『真実の光・神示 平成19年版』134ページ(中略あり)