地震の中でも冷静な判断が

(福井県HT/60代女性) 

昨年、元日に発生した能登半島地震。石川県に近い我が家も、震度5の揺れに見舞われました。 

家族で偉光会館に参拝し、夫と新たな御神体をしつらえ、手を合わせたその時でした。グラッとした後、揺れが全く止まりません。怖い! 助けて! 人生これで終わりかも。私の人生どうだった? そんなことが頭の中を駆け巡りながら、「こんな時こそ心の安定を祈願」と思ったのです。 

分魂を通して祈願できたから

すると、激しい揺れの中で、“今すべきこと”が次々と浮かびました。まず娘たちの元へ行ってみると、個人用御神体を握り締めながら救いを求めていました。聞けば、ちょうど個人用御神体をケースに納めていた最中だったというのです。全員が御神体を目の前にしていたその時に起きるとは、何というタイミング…。おかげで、恐怖がありながらも、家族4人とも平常心を頂き、海が近いため、津波に備えて「避難だ」と全員一致。余震と警報が鳴り響く中を、避難所まで必死に走りました。 

無事に到着して、ほっとした私たち。とっさの間にも、冷静に判断でき、コートを着ていたので寒さもしのげました。家族全員が個人用御神体を身に着けて祈願でき、公務員の娘に招集がかかっても、安心して送り出せて…。挙げたら切りがないほどのご守護、ご守護の連続でした。

神を感じて暮らせるありがたさ

家族で教えを学び、生かせば、心も、行動も、神のお守りと導きの中で、事故や災難は避けられる。神が言われることは、本当にそのとおりだと確信しました。五感で生きる人間には、神の存在が見えません。でも、分魂が封じ込められた御神体という形をもって、神を感じて暮らせるのです。この体験を通してつかめたのは、何ともありがたい宝を身近にできることへの感謝。そして、神に心を預けて共に生きる大切さです。 

きっと、何事もない日でも、見えないところで、一分の隙もなく神の導きとご守護の中にいる私たち。そのように、日々命を頂いているのだと、深く実感しました。ますます神に純粋な心を向けて、人の思いを感じ取れる柔らかい人柄に。心も、生き方も磨いて、家族みんなでさらなる仕合せを目指します。