「生きる」軸のあるありがたさ
(藍原秀江宮事/神示教会職員)

神総本部から遠く離れたアメリカで暮らし始めて約3年。海外にいるからこそ、「正しい生き方」「仕合せの仕組み」を知っていてよかったと、なおさら強く感じます。今、あらためて感じる、神と生きられる心強さ――。日本にいる皆さまも含め、全ての方に知っていただきたいのです。

神の教えが必要な理由

さまざまな情報が入り乱れている現代社会。その国、その国によって公開される内容は異なり、日本のニュースには流れないことが、アメリカでは発信されたりします。正しいかどうか、不明確です。しかし、その情報に振り回される人がいる。半面、情報を遮断して、偏った考えを信じ込んで生きている人もいます。社会がどんどん複雑になり、それぞれが自分たちの考えを主張し、ぶつかり、人々の心が収まらない環境が蔓延(まんえん)していると感じる、きょうこの頃です。

以前のアメリカやカナダは、人種のるつぼ、「melting pot-混ざり合っている」といわれていました。今は、「モザイク」あるいは「サラダボウル」といわれています。混ざり合っているのではなく、それぞれが独立し、それぞれの味を主張しているのです。その一つ一つをつないでいくものは…と考えた時に、神の教え、真理がどれだけ必要かを感じずにはいられません。

「真理で生きれば通用する」確かな自信

時代は確実に変化し、かつていわれていた「アメリカは自由の国」「アメリカンドリームがある場所」という言葉も、正しいのか分からない社会になっています。厳しい現実がたくさんあり、きょう「Yes」と言われたことが、次の日には「No」に変わるなど、話がひっくり返り、理屈が通らないこともしばしば。民族が違う、肌の色が違う、文化が違う…。数々の壁が高くそびえる中で、多くの人に受け入れられ、対等に見てもらうのは本当に大変で、努力の要ることです。

東洋人への無差別的な暴行なども、大都市(特にニューヨークなど)では増えています。新型コロナウイルスの発生源が中国かもしれない…という理由で、中国人、韓国人、日本人の違いが分からない人たちが乱暴な行為を無差別に繰り返しているのです。 私の住んでいる所は、フロリダの中でも東洋人が極端に少ない地域です。よって、地元の人たちの中には、私を人種的に怖がったり、先入観を持ったりしている人もいれば、侮辱していると明らかに分かる態度を取られることもあります。そうした言動を理由に、多くの人が相手とぶつかり、トラブルを引き起こしています。私自身、もし神の教えを学んでいなかったなら、自分で自分を守ろうとしたり、権利主張をするために、攻撃的な行動を取ったりしてしまったかもしれません。しかし、教えがあるおかげで、お互いの“違い”にのまれるのではなく、会話の中で、相手との“共通点”を探そうと気持ちを切り替えられるのです。そこに、「白人対東洋人」ではなく、「人対人」の交流が感じられ、会話も人間関係も成立していきます。このように、教えを軸に乗り越えた数々の実体験が、「真理で生きれば、どこでも通用する」という自信になりました。

教えがあるから、平静で、明るく…

少し前のことです。さまざまな環境変化から、治安がかなり悪化し、ホームレスも増えました。そんな中、私の暮らすアパートの敷地内に、ホームレスが住み始めてしまったのです。「さあ、どうするか?」対応にかなり悩みました。最初は様子を見ていたものの、彼は居住スペースをどんどん広げていきます。だからといって、注意して怖い目に遭うのは心配です。報復もあるかもしれないし、銃を持っている可能性も大。また、そのような所は、往々にしてドラッグが蔓延していたりします。隣近所の方々は、皆さん怒り心頭。「管理会社から警察に通報し、対応してもらうのがいい」と、感情的な様子で管理会社に対応を求めていきました。

こうした状況でも、祈願していると冷静でいられます。「自分たちのために、管理会社にどのように協力してもらえるだろう」と考え、話し合いを重ねていきました。「いつも私たちのために動いてくれて感謝しています」「いろいろ考えてくれてありがとう」など、日頃の感謝を伝えることを忘れず、担当者の考えも聞きながら、こちらの要望を話していきました。近所の方たちにも、私が連絡を取っていることや、管理会社への感謝の思いなどを伝えていったところ、皆さん「確かにそうだね」と気持ちを落ち着かせてくれたのです。おかげで、当初は「住民が対応すべき」と言っていた担当者の心が徐々に変わり、警察に応援を求めてくれて、めでたく平和的に事が解決したのです。「管理会社が対応するのは当然のこと」という態度を取る人もいる半面、冷静さを取り戻した人も多く、「誰も怖い思いをしないでよかった」と言ってくれる人もいました。お礼を伝えるために担当者に連絡をしたところ、「冷静に向き合ってくれてありがとう」と、逆にお礼を言われました。アメリカでは、権利、義務…などを盾にしながら相手に求めることが多いです。しかし、神の教えを基に触れていくと、何を主張せずとも、気持ちよく協力してもらえるのです。

神の教え、人生を方向づけてくれる軸となるものがなければ、今のアメリカでは正気でいられない…。It is very difficult to keep the sanity. 言い換えるならば、私がアメリカで、周りの情報にのまれずに平静を保ち、明るい気持ちでいられる理由は、神の教えを学べているおかげと心から感じます。