第4回 日々の「歩み」は自らつくるもの

私たちと心の変化

私たち信者の日々の「歩み」では、神の教えの実践が大切であることは、申し上げるまでもありません。しかし、口で言うほど容易なことではないでしょう。飛び抜けて心変わりが頻繁な人でなくても、行動する前に気が変わることは、よくあることです。実行しようと決意しても、なかなか行動に移さず、そうこうしているうちに、決意自体を翻してしまうという経験は、誰にもあるのではないでしょうか。

そうなるのは、心の中で実践がスタートしていても、体が動く前に心が変化してしまうからです。心が変わってしまえば、行動は未発のまま、結局は実践につながらないのです。

 

古代の人々の心は…

現代人が持つ心の変わりやすさは、古代社会の人々にも見られます。例えば、7千年前、中東で誕生したメソポタミア文明や、5千年前のインダス文明、黄河文明における神話や英雄伝説などから、当時の人々の心の変わりやすさを知ることができます。古代エジプトやギリシャ・ローマの人々も同様です。

日本では、712年に編纂された日本最古の歴史書、古事記の中に、いなばの白うさぎの物語があります。そこには、大国主命(おおくにぬしのみこと)の兄たちの白うさぎに対する冷酷な仕打ちや、大国主命の白うさぎへのいたわり、あるいは白うさぎによる大国主命の結婚の成功予言などがつづられています。そこに残された悲しみや喜び、憤怒や嫉妬の表現を通して、当時の人々の心の変化をうかがい知ることができます。

このように見てくると、時代や場所を問わず、人間の心の変わりやすさは、文字もなく、狩猟や採集の生活を送っていた旧石器時代の頃から、人間の固有の特徴であるという考えに至ります。

 

心の安定を図る

古代から現代へと歴史を重ねる中、政治の在り方から生活スタイルに至るまで、社会の仕組みや文化は、大きな発展を遂げました。しかし、心が変わりやすいという人間の性質は、社会の進展にもかかわらず、何の変化も見られません。従って、人の心が変わるのは、社会のありようがもたらすものではないということになります。心が変わりやすいという現象をもたらしているのは、人間の外にある社会などの環境的要素ではなく、人間自体が生まれつき保有している素質に起因すると考えることが妥当でしょう。

人間は生まれつき、他の動物と同じように、種を保存する能力と、個体として、自分の生命を保持する能力を与えられています。この2つが人間の素質であり、これを基礎として、困難を避ける性質と、楽なものを選ぶ性質を持つようになりました。

日々の「歩み」で教えの実践を思い立ちながら、心が変わって、実行しないままに終了するという場合、この性質のままに行動しているのかもしれません。そうであるなら、私たちの努力の的は、人間としての生来的な傾向をコントロールするということになるでしょう。

 

日々の「歩み」に向かって

私たち日本人の文化では、まず模範的な在り方を示されて、それに倣う形で、行動パターンと、根底にある考え方、すなわち心構えを身に付けていくのが基本とされてきました。しかし、この方法は、人生の歩み方にいつも適用できるものではありません。人生には年齢に応じた段階もあり、その時々で、あるべき行動パターンも考え方も変化します。さらに、一人一人の人生は、他者の人生とは別物です。その人なりの性格傾向、いわゆる個性が、人生の個別性を生み出しているからです。常に万人に通用する「人生の手本」はないということです。

考えるべきは、変わりやすい心を抑え、いかに日々の「歩み」を実践へと向けさせるかという問題です。それには、望ましい「歩み方」を、自分の性格や考え方、年齢や環境など、個人的な特徴を基に、具体的に計画してみることです。日々の「歩み」を、外から与えられた手本に倣うのではなく、自分なりに生み出すことこそが、一番大切なのです。その取り組みによって、生来的な傾向を乗り越えた、自分なりのあるべき「歩み」が見えてくるでしょう。

神の教えでは、「心の姿」を自ら見詰めることが説かれています。この取り組みは、まさに「心の姿」を見詰める実践に重なるでしょう。自分自身を厳しく見詰める勇気を身に付けることが、自らの歩みをつくり出す原動力になると信じています。

略歴
東京大学法学部卒業。同大学大学院修了。
平成15年から平成18年まで日本大学法学部法学部長、平成18年から平成19年まで同大学副総長を務める。著書『刑法総論』『刑法各論』ほか。

 

沼野先生の連載コラム、いかがでしたか。感想などを、以下の投稿フォームから、ぜひお寄せください。

時代を生き抜く
社会で光る人