第3回 「得る」より「与える」生き方を

情報化社会の誕生

今日までの人間社会は、農漁業、牧畜、林業など、生産活動を基本とし、生活様式、習慣なども、それに応じて形成されてきました。ところが、この伝統的な社会とは異なる新タイプの社会が生まれています。そこでは、目に見える財物や資本よりも、形のない知識や情報の収集、伝達、蓄積が社会の使命となり、重要な目的として、価値あるものと見なされてきています。

1970年代に、欧米や日本などの先進国でコンピューター技術が急速に発展したことからこの動きが始まり、短期間で各地に波及し、無数の情報化社会を誕生させたのです。この動きが、専門分野にとどまらず、スマートフォンなどの手軽な情報機器の普及によって、人々の生活に一大変化をもたらすとは、誰も予想できませんでした。

人間の歴史は5万年とも、7万年ともいわれますが、決して短くない人類史の中で、これほどの変化に遭遇するのは、これが初めてのことです。

 

情報化社会の特徴

私たちの生活環境は、「人を傷つけてはいけない」「人の物を盗んではいけない」など、歴史を重ねて出来上がった価値基準や倫理観によって形成されています。しかし、現代の情報化社会は、生活環境を形成するものとしては不十分です。情報は、資料の一種であり、それがどのように機能するかは、情報の保持者により決定されます。多量の情報を収集したところで、何も活用しなければ、情報が存在しないのと同じことだからです。どんなに多量の情報を持ったところで、それを生かさなければ、人々が生活の指針や生きがいを獲得することもありません。それどころか、かえって、人類に根差している価値基準や倫理観を見えなくしてしまうこともあります。

情報化という大波の中で生まれた新しい社会は、伝統的な社会と新たな時代とをつなぐ役割を持っています。ただし、現在は、新旧の要素が併存し、機能不全を引き起こしている状況です。21世紀の日本に住む私たちが成熟した情報化社会を目指して歩みを進めていくことが、今の時代に求められているのでしょう。

 

これからの情報化

流動的な社会情勢の下では、その変化に合わせて柔軟に対応していく必要があります。豊富な情報の中に生きる私たちは、解決策や対応方法をいとも簡単に入手することができます。しかし、誤った情報も多く、さまざまな情報が錯綜し、対立を生み出し、判断不能状態に陥ることが懸念されます。情報の豊富さが、日常生活の中の人間関係を不安定なものに変えてしまうこともあるのです。情報は、豊富ならばよいというものではありません。今日のSNSが直面しているように、情報の質をいかに担保するかが、情報化社会における最重要課題です。情報の質的向上が達成されて初めて、成熟した情報化社会が実現するのです。そのための研究が、今求められています。

 

「与える」を選んで、「得る」を取らない

日常生活は、どのような国や地域でも、大差はありません。しかし、人々の考え方には、大きな違いが見られます。それは、「得る」と「与える」のどちらを選択するか、またその背景にある価値観に相違があるのです。「得る」は、自分の望むことを第三者にしてもらうことで、「与える」は、他人が望むこと、必要とすることを、自分がしてあげることです。

最近の日本では、「得る」を選択する傾向が顕著であると感じます。公的機関や民間団体などに、「してもらうのが当然」、あるいは「してもらわなければ損」とする考え方が、さまざまな分野で常識化しているようです。現在の日本は、平和が維持され、生活インフラが整い、教育制度や社会保障も確立しています。これほど恵まれた環境に生きる私たちが「得る」を選択することは、過分なものと言えるでしょう。それならば、「与える」を選択し、少しでも必要な人に手を差し伸べるのが、本来の責務ではないでしょうか。

冒頭に述べたように、現代は、形ある財物より形のない情報を重要視する社会へと、大きく変革しつつある時代の過渡期です。この難しい局面を生きるに当たって、相手が私人であろうと、公的機関であろうと、「得る」という選択をしないことが大切であると思います。「与える」という気持ち、文化を創出する誇りを持って、他人への奉仕を実践するとき、その先には、神が説かれる調和の取れた世界が広がっていることでしょう。 

略歴
東京大学法学部卒業。同大学大学院修了。
平成15年から平成18年まで日本大学法学部法学部長、平成18年から平成19年まで同大学副総長を務める。著書『刑法総論』『刑法各論』ほか。

 

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