第2回 「心」を尊重する伝統を次代へ

5歳児の遺棄致死事件と現代社会

新型コロナウイルス感染症は、2年目に入っても、まだ終息の兆しが見えません。ウイルス対策の切り札と期待されているワクチンの接種が開始され、その効果に社会の関心が向いているなか、5歳児の保護責任者遺棄致死事件が報道され、注目を集めました。

その事件は、母親が友人に言われるまま、5歳になる三男に何日も食事を与えず、死亡させたという痛ましいものでした。飢えに苦しみながら生死の境をさまよう子供を傍観していたのはなぜなのか、この二人の冷淡さはどこから生まれてきたのでしょう。報道に接した人は、恐怖を覚えるとともに、さまざまな疑問を抱くに相違ありません。その回答は、性格や考え方という、二人の人間的な側面ではなく、二人が生活している現代社会の特質の中に見つかるのではないかと思います。

 

現代の世界と国家

世界には76億ほどの人々が住んでいて、200近い国家に所属しています。数世紀にわたる歴史を持つ国もあれば、建国したばかりの国、新興国と呼ばれる国もあります。これらの国々は、立地条件などに起因して国民の生活状況に大きな違いもあります。しかし、その個々の差異をひとまず置いて、地球規模から現代社会を眺めると、特徴的なのは、巨大な情報網が構築され、多忙な社会生活に合わせて、莫大(ばくだい)な人数が迅速に移動し、かつ膨大な量の物資が流通していることです。人類は、今までこのような社会を経験したことはありませんでした。

この現代社会は、豊かな物質生活を可能にする一方で、日常生活で接触する人や物、出来事に対して、当事者、責任者として正面から対応するよりも、傍観者として行動することを奨励する傾向が見られます。なぜかは分かりませんが、私たちは、以前に比べ、物事に対して、機械的、消極的に、いわばおざなりにしか反応しないようになってきているのです。第三者的な立場をベターとする雰囲気が、一つの「常識」として広がっているのかもしれません。

この特徴を踏まえて見詰めると、子供の遺棄致死事件の中にある、母親や知人の冷えきった心、子供の苦しみへの無関心さの根底には、現代社会の影響が横たわっていると思われます。もちろん人の心は複雑ですから、この疑問に簡単に回答することは困難であり、いろいろな面からの検討が必要でしょう。しかし、それを考慮しても、この事件は、「人間的」なものではなく、「社会的」なものであると感じられてならないのです。

 

日本の伝統と心の文化

現代社会の特徴と生活とが密接に結び付いている日本の社会では、その長所、短所とも、生活に強い影響を与えていると推測されますが、その一方で日本という国は、伝統的に「心」を重視する文化を大切にしてきました。

これは、日本語において、“心”という言葉が、古くから広い範囲で使用され、多種多様な意味合いで使い分けられてきたことを知れば、おのずから明らかになるでしょう。国語辞典の「心」の項を見ると、それは人間の内部に存在して、理性、知識、感情など、精神活動の総称であり、それらのもととなっているものと記載されています。さらに、心から派生した内容もたくさん載っています。作品や物の「深み」、あるいは「感動」「覚悟」「決心」、人の持つ「配慮」や「性質」、そして「謝礼」「誠意」「注意」「考え」などが挙げられています。この全てが、日本の伝統では「心」となります。「心」は、多様な言葉、概念として、日常生活における規範となってきたと考えられます。

「心」を尊重することは、時代の推移の中で、我々の基礎的な価値観をつくり上げています。ですから、日本の文化を考慮すると、機械的で消極的、「おざなり」や「見過ごし」「気に掛けない」という冷たさ、「無関心性」をもたらす現代社会の傾向も、決して恐れる必要はありません。私たちは、日本の伝統に自信を持ち、落ち着いて対策を講じていけばよいのです。

 

「心」を尊重する伝統を 次代へつなぐのは家庭

「心」という言葉の派生的な意味合いを一覧すれば、「思いやり」「情け」など、現代社会が人々に植え付けた傍観者的な態度とは正反対であり、物事に対して積極的に心を開き、関心を向ける意味を強く持っています。この、「心」を大切にする伝統があることを認識し、次世代に伝えていけば、現代社会の負の影響を打ち消す大きな力となるでしょう。

伝統を大切にすることは、人間生活の基本であり、生き方の規範を伝えていくことにほかならず、それぞれの文化を保持する人々にとって、非常に大切な営みです。しかも、社会の基盤となる「生き方」を伝えていくことは、学校教育ではなし得ない部分です。学習よりは体得するものであり、頭脳で記憶するより、手本に倣ううちに身に付く部分が多いからでもあるでしょう。伝統を教え、伝えていくのは、家庭の大切な役目です。その際に教師となるのは、父母であり、祖父母などの年長者です。

現代は、錯綜(さくそう)する情報に振り回され、家庭に時間やエネルギーを割かない生活を選びがちですが、それは避けるべきです。家庭は、個人にも、社会にも掛け替えのない場所であり、それを軽んずる文化は、世界のどこにも存在しないのです。

居ながらにして、世界中の情報が手に入るなど、現代社会の利点を享受することは、誰にでも許されています。他方では、それと共にですが、現状の欠点にも目を配り、身近な出来事に心を向け、我が国の伝統を映す社会の実現へと歩んでいかなければなりません。

このような時代であればこそ、私たちに託された責務の重さを自覚する必要があるということです。

略歴
東京大学法学部卒業。同大学大学院修了。
平成15年から平成18年まで日本大学法学部法学部長、平成18年から平成19年まで同大学副総長を務める。著書『刑法総論』『刑法各論』ほか。

 

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