植物の命の輝きを引き出して
杉村新太郎(庭園担当)

左官職人だった私は、奉職後はその経験を生かして旧神殿の白壁を塗るなど、さまざまな業務に当たってきました。その後、真実の光会館をはじめとする教会施設の庭園管理に携わらせていただくようになったのです。
全く素人の状態から始めましたが、決められた仕事をするだけではなく、自分にできることを考えて、「陰日なたなく、誰も見ていなくても決して手を抜かない」を、信念としてきました。例えば、草取り一つにしても、ただ取ったのか、心を込めて取ったのかで、見る人には伝わるはず。ですから、どんな業務も、「神から与えられた仕事を精いっぱい」と思ってやってきました。
花は元から好きですが、自分が好きだからではなく、いつも意識しているのは、「見る人がどうしたら楽しんでくれるか」ということです。神総本部には、毎日全国から大勢、さまざまな思いを抱えた方が来ます。そうした人たちが、救いの御場所で目にした花や木で、少しでも心が潤えばと思います。そういう気持ちでしていると、「いつもきれいにしてくれてありがとうございます」「四季折々にいろいろな花が咲いて、心が休まり、感動します」と信者さんに声を掛けていただきます。大変ありがたく、うれしいことです。
体はきついけれど、毎日楽しくて仕方ありません。毎朝、庭園全体を見渡すと、芽吹いたり、つぼみが膨らんだり…と日々変化があり、植物も生きているんだなと感じます。一つ一つから声が聞こえてくるようで、この木にはこういう姿が似合うんじゃないか、と思いながら剪定したりしています。
庭園管理には、これで終わりということがありません。このやり方が最善と思っていても、翌年には、「ここにこの花を植えると、皆さんがもっと楽しめるかな」などと、また発見があります。
4年前、松を手入れしていた時に意識をなくし、脚立から落下したことがありました。長年、一人で業務をしてきたのですが、少し前に二人で作業することになったので、すぐに見つけてもらえたのです。そのタイミングと、後遺症もなく復帰できたことに、深くご守護を感じます。「生かされている」と思うと、できる限りのことをさせていただきたいという気持ちがますます膨らみました。今は後輩の若手に、技術のみならず、そこにかける思いを伝えています。