小林友理宮事代行

祖母との日々で得た、仕合せを感じる心

春を迎え、新緑の明るさに心が癒やされる頃が亡き祖母の誕生日です。祖母が作ってくれた、山芋のとろろご飯が食べたくなりました。久しぶりに自分で作って、梅の実を添えました。祖母は、「梅はその日の難逃れ」と言って、毎朝家族のお茶わんに載せてくれたものです。月日がたつほどに、祖母の人生の重みと存在の大きさを、しみじみと感じています。

明治生まれの祖母は、物を大事にし、質素な暮らしの中に仕合せを感じ取れる人でした。何があっても、決して愚痴を言わず、いつも人を支援する地域の活動にいそしんでいた姿を、子供ながらに尊敬していました。私が作ったおかずが毎回同じでも「まあ、きょうもごちそうだね」と心から感動してくれ、私の方がその姿に感動を覚えました。

晩年、認知症が出始めた時は、母も私もショックでしたが、あるがままの祖母を受け入れることで、共に生きる仕合せを感じ、とにかく安心してもらえるように世話ができました。

寝たきりになり、言葉がはっきりしなくても、何が気になるのか、どうしたいのかが不思議と分かり、心がつながっていると感じました。好きな歌を歌ってあげると、手拍子が出て、穏やかな笑顔にみんなが力をもらいました。昼夜にわたる在宅看護は大変でしたが、一瞬一瞬が尊くて、全てがいとおしく、本当に仕合せな毎日でした。

「真の喜び」は 今に感謝するなれば 自然と心に湧き上がる
 生きる喜び──身近なこと一つ一つが 輝いて見えるのである
 どんなに先を考え 案じてみても 人に人生導く力はない
 「人生の真理」心底悟りて 神と共に人生歩むがよろしい

「真の喜び」は 今に感謝するなれば
    自然と心に湧き上がる
 生きる喜び──
    身近なこと一つ一つが
      輝いて見えるのである
 どんなに先を考え 案じてみても
    人に人生導く力はない
 「人生の真理」心底悟りて
    神と共に人生歩むがよろしい

『真実の光・神示 平成16年版』186ページ

祖母が亡くなった後に、この神示に触れ、涙があふれました。神の手の中で頂いている寿命があるから営める日々の暮らし。その中でたくさんの仕合せに気付ける自分でありたいです。

環境の激変で不安になることが多い現代でも、人として大切なことを見失わずに生きてゆけることがありがたく、皆で力を合わせて、真の仕合せが広がる社会をつくっていきたいと心から思っています。